エレミヤ書29章 10~14節
29:10 まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。
29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
29:12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。
29:13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。
29:14 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』
1.卒業試験
今年は講壇交換で荻窪に来させて頂きました。聖書箇所はエレミヤ29章です。
私などが言うに及ばず、人生とはなかなか大変です。 一昨年の「教区デー」で証し会をしましたが、「皆さん大変な人生を歩んでおられるなあ」と思いました。神様が与えられる
「人生の訓練」というものは、しばしばその人にとって、一番痛い、辛い、苦しい事を与えられます。例えば、アブラハムにとっては愛するイサクを献げなさい、というような事です。
もしかしたら神様は、私たちに最後の信仰の卒業試験を与えておられるのかも知れないと思うんです。 やがて間もなく私たちは、この地上を卒業し、天国に行く訳です。
2.わざわいではなく
人生で大きな試練、悲しみ、苦しみが与えられる時というのは、信仰がグラつきます。 「神様は本当に私を愛しておられるんだろうか? 私を祝福しておられるんだろうか?」 ヨブのような心境です。今まで主を人一倍、一途に信頼してきたのに、従ってきたのに、その信頼を全く失うような、何を信じていいのか、そんな思いになる。
けれども、そんな中にあっても御言が信仰を支えます。エレミヤのこの時代、ユダの国は最も最悪な状態でした。バビロン帝国によって滅ぼされてしまったのです。生き残った人もバビロンに捕囚とされる。最も絶望的な状態。
けれども、そんな絶望的な状況の中で、この御言が語られた訳です。
“わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている・・・
それはわざわいではなく平安を与える計画であり・・・”
私たちの人生の中で、どう考えても「災い」が起きた、としか思えない状況で、「いや、これは災いを与える計画ではない。平安を与えるご計画なのだ!」と信じることです。
3.最後まで主を信頼する
私たちの信仰の火は、消えそうになっても消えません。イエス様のとりなしがあるから。
ルカ22:32でイエス様はペテロに言われました、
“しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。”
そして、父なる神様は私たちに「災い」は与えないのです。 マタイ7:9~11、
“あなたがたのうちの誰が、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。
魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。・・・なおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。”
神様は私たちを子どもとして愛しておられる。その事を信じ続けたい。一見、災いを与えられたように思っても、それはまだ途中経過であって、必ず益にして下さる! 幸いにして下さる! 平安にして下さる! 良いものを与えようとしておられるんだ!と信じることです。 信仰の火が消えそうになる事もあるでしょう。 けれども最後の1ミリでもいい、1%でもいい。 最後まで主を信じて、完走しましょう!