聖書箇所:コロサイ3:14~17
3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
3:17 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。
本年も次週の決算総会を控えて、本日は信徒懇談会開催日となった。2024年度も悲喜こもごもがあり、今も戦いや困難はある。しかし、今に至る神様の恵み、皆様の祈りと献身に感謝し、キリストにより、信仰により、聖霊により一致しつつ、希望をいただいて進んでいこう。ビジョン2025の聖句(コロサイ3:16)から話す。
Ⅰ.愛によって結び合わされる
神様とはどのような御方なのかを人間は考え続けてきた。永年の偉大な努力の積み重ねがあり、神学は今も、進み続けている。しかし、どの程度神様を捉えているのだろうか。私たちが、十分に神様が分からなくても、神様を信じていくことはできる。人間同士でも、十分に分かっていなかったとしても、相手を信頼し、愛することができる。
神様を知っていくならば、神様の愛が、私たち人間が持っている愛とは違い、はるかに広く、長く、高く、深くあることに気づく。パウロはエペソ人への手紙で「すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(3:18・19)と祈っています。
今日のコロサイ3:14に帰る。私たちが神様の愛をいただくと、神様の愛が私たちの間の完全な結びの帯になると言う。教会は一人一人育ってきた背景、大切している考え、思想信条など違っている者たちの集まりである。神様の愛をいただくことによって、初めて一つとなっていくことができる。教会は元より、人間関係全ての大きな真実がここにある。
Ⅱ.信仰の歩みに導かれる
神様の愛をいただいた私たちが、神様の愛の内に生きて行くために具体的にどのように歩めばよいのか。
不思議な言葉だが16節には「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。」とある。キリストのことばを知りなさい、キリストのことばを信じなさい、キリストのことばを覚えなさいではない。それらを超えて、キリストのことばが「住むようにしなさい」。キリストのことばは命があり生きている。キリストのことばは成長していく。キリストのことばは、あなた自身を変えていく力がある。キリストのことばを頭に知識として留めるのではなく、心に命あるものとしていただくことが大切だ。キリストの心を幾分かでも持つことのできる者となっていく。
また、賛美をささげながら歩む者とされる。同じく16節の後ろには「詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。」とある。「詩」は旧約聖書にも詩歌が多く残され、詩歌によって神様への信仰を表していく伝統がイスラエルにある。「賛美」は教会の始まりからあった。神様への信仰の自然な表れである。「霊の歌」は魂の深みからにじみ出る神様との交わりである。
このように神様の愛をいただき、キリストのことばを宿す者、神様をたたえながら生きる者となる。そのような歩みが私たちを養い、信仰の成長につながる。
Ⅲ.神様への感謝となる
神様の愛をいただいている私たちの姿として、この聖書箇所の締めくくりとして感謝を挙げる。神様の愛は、神様から愛される価値のない私たちに一方的に与えられた恩恵である。神様からのプレゼントである。英語のプレゼントは、現在、贈り物、紹介するというような意味を持つ。私たちが今、現在あるということは当たり前のことではない。私たちに与えられているプレゼント、特別なものである。プレゼントという言葉から、痛みや苦しみがあっても、今を生きていることが神様からの恵み、感謝であることに気づく。
感謝は15~17節の3節にそれぞれ1回ずつ用いられている。各節を要約すれば、キリストの平和によって感謝の心を持つ(15節)、キリストのことばを内に持ち感謝をもって賛美をささげる(16節)、主イエスによって父なる神様に感謝し、語り行動する者である(17節)。何れも、感謝はキリストによって、キリストにあってが重要である。
神様の愛は、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)との言葉に要約されている。私たちは、この世に神様の愛を表すためにお生まれくださったイエス様、私たちと神様を隔てる罪のあがないとして十字架にかかってくださったイエス様を、感謝を持って受取る者である。この救い主、イエス様を信じ受け止め、永遠の命に生きる者とされたことが、神様への感謝の基にある。
16世紀のイギリスの著述家、アイザック・ウオルトンに「神には二つの住まいがある。一つは天国に。もう一つは穏やかで感謝に満ちた心の中に。」との言葉がある。神様の愛をいただいている者として、キリストを内にいただいている者として、キリストの平和の内に穏やかな感謝を持ちつつ歩もう。