聖日礼拝説教要旨‘25.12.28
年末感謝礼拝
説 教 題:「主に守られて」 井上義実師
聖書箇所:イザヤ52:7~12
52:7 良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。
52:8 あなたの見張りの声がする。彼らは声を張り上げ、ともに喜び歌っている。彼らは、主がシオンに戻られるのを目の当たりにするからだ。
52:9 エルサレムの廃墟よ、ともに大声をあげて喜び歌え。主がその民を慰め、エルサレムを贖われたからだ。
52:10 主はすべての国々の目の前に聖なる御腕を現された。地の果てのすべての者が私たちの神の救いを見る。
52:11 去れ、去れ。そこから出て行け。汚れたものに触れてはならない。その中から出て行き、身を清めよ。主の器を運ぶ者たちよ。
52:12 あなたがたは慌てて出なくてもよい。逃げるように去らなくてもよい。主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。
2025年も第52回目の礼拝となり本年最後の説教を語る。小さき者の御言の取り次ぎのためにお祈りくださり真に感謝。この1年の恵みを数えつつ、新しい年の祝福を祈る。
Ⅰ.確かな良い知らせ
7節「良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。」と語られ始める。この1年皆様に良い知らせ、できごとがあった。聖書が語る良い知らせは全ての人に開かれている。ここで良い知らせとは、平和、幸い、救いに満ちており、「あなたの神は王であられる」という。先週のクリスマス礼拝で、ベツレヘムの野にいた羊飼いたちに「この民全体に与えられる大きな喜びを告げ知らせます。」(ルカ2:10)と御使いが伝えた箇所から話をした。救い主イエス様がお生まれになったことが、全ての人への良い知らせ、福音である。神様から離れ、各々勝手な道に歩んで、傷つき、倒れるような私たちに神様の側から手を差し伸べられた。イエス様を救い主と信じ、自らの罪を悔い改めて、神様に立ち返るならば、神様の愛の内に導き入れてくださる。
神様の良い知らせは、全ての人に対して、全ての時を越えて、公平、公正に開かれている。私たちが永遠に神様の愛の内にあり、どんな時にも神様と共に歩み、神様に支えられ守られ続ける。信仰者にとって最も基本となるが、この1年の終わりに当たって確かな恵みに感謝し、迎える年の約束を新たにさせていただこう(イザヤ61:1~3)。
Ⅱ.絶え間なく見張る
8節「見張り」が出てくる。見張り台に立つ見張りは、戦争が絶えなかった時代に変化はないか、危険はないかと24時間、立っていた。見張りの役目は見極めたことを、速く正確に伝える。あいまいな話ではなく、見定めた事実を、事実として語る。見張りが大声を上げて喜び歌う姿が出てくるのは大きな喜びが到来したからである。決してぬか喜びではない、動かされない大きな喜びがある。
ここでエルサレムの廃墟に主が戻られるとあるが、ユダの民がペルシャのクロス王によってバビロン捕囚から解放され、エルサレムへの帰還が許されることを預言している。ユダの民は70年間、国を失い、バビロンで捕虜とされる期間を過ごす。ユダの民には希望も将来も見えない状態に置かれるが、絶望からの回復となる。大声で喜び歌うのは当然である。
私たちも神様が共におられるからこそ、希望を失うことはない。私たちの業が尽きる所に神様は新しい業を起こして行ってくださる。困難であればあるほど、神様が大きなことをなしてくださる。新しい年に向かって神様に希望を持たせていただこう「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」(イザヤ43:19)。
Ⅲ.主の器を担っていく
11節「主の器を運ぶ者」と祭司の働きが出てくる。律法の規定には細かな祭儀の規則が定められ、祭司の働きが定められている。今、私たちは全ての信仰者が祭司である万人祭司の時代に生きている。私たちは皆が祭司として主の働きに加わっている。神様から力をいただいて、主の働きに当たっていこう。
12節「主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられる」とある。神様は、私たちの前衛として先立って道を開いてくださり、後衛となって後ろを守って歩んでくださる。私たちは神様に取り囲まれて、神様の内に守られて進むことができる。何かを気にして慌てる必要も、何かを恐れて逃げなくとも良い「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)。
神様の尊い約束が私たちに与えられ、イエス様によって実現している。新しい年、主が何をなしてくださるかを期待しながら、主の働きに与っていこう。
