聖書 イザヤ書55章9~11節

9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
10 天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。
11 このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。

 イザヤ書40章をみますと、人は草のはかなさにたとえられ、それと対照的に神のことばの確かさが語られています。私たちに語られている神の言葉、神の思いをわたしたちは、いつもどのように捕らえているでしょうか。
1.はるかに高い主の思い
  9節では、人の思いと神の思い、人の道と神の道の違いを天と地ほどに違うと語っています。これは、比べようもないほどのものであることを象徴しています。人の道、人の思いは、素晴らしいものがあります。しかし、しばしばそれは、その人自身の経験、習慣からくる生き方、考え方であるものです。どこかにかたよりがあります。神は、完全なお方であり、かたよりのないお方です。そして神は、悔い改める悪人を赦してくださるのです。これは、人の理屈、人の道理に反するものです。理解しがたいことです。しかし、神の目から見れば人の考えは、狭く小さなものなのです。神の愛は人知をはるかに超えた崇高なものなのです。
2.空しく帰らない主のことば
 10節では、天から降る雨について語っています。雨が降るからこそ、地は潤い、食物は育ち、食べる者に糧を与えます。天からの雨がなければ、地上は何も育ちません。それと同じように、神の言葉も人の心を潤し、生かすのです。私たちは雨の道筋を全てこの目で見ることはできません。しかし、雨となって地上に落ちたものは、又再び天へともどるのです。地にしみこんだ水のその先は見ることはできませんが、集められ川に流れ、海にたどり着き、蒸発していきます。その途中、食物を潤し、動物を潤していくのです。形は変えても、どこかでなくなっていくことはないのです。天に再びたどり着くまであらゆる働きをします。それと同じように、神の言葉が伝えられるとその人を潤し、生かし、実りをもたらし、御心を成し遂げるというあらゆる働きがあり、むなしく帰ってくることはないというのです。
全能者のみ言葉は、確実な働きをすすめ、御旨を果たしてくださいます。人の言葉はむなしくても、神の言葉はむなしく帰らないことを確信し、神の言葉に生かされ、神の言葉を伝えさせていただきましょう。