聖 書 イザヤ書35章
35:1 荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、
35:2 さかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う。これにレバノンの栄えが与えられ、カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。彼らは主の栄光を見、われわれの神の麗しさを見る。
35:3 あなたがたは弱った手を強くし、よろめくひざを健やかにせよ。
35:4 心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。
35:5 その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。
35:6 その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。
35:7 焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。
35:8 そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。
35:9 そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。
35:10 主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。

 主の年2017年、あけましておめでとうございます。今年は元旦が聖日という特別な年回りです。今朝はイザヤ書35章から「神の国は喜びの国である」という主題で「4種類の回復」についてお話しします。わたしたちは主にあがなわれた者として、罪から救われて神の国に入ることを許されました。イザヤ書35章では、新しいイスラエルの民は主のあがないのみわざによって、罪から解放されて救われて、喜びながら賛美の詩で主を高らかにほめ歌う姿が描かれています。

1.自然界の回復(1,2、6後半~7節前半)
 主がやがて来られるとき、自然界は回復がもたらされます。「荒野」「乾いた地」「さばく」(1)など荒れ果てた地は、神様によって緑が茂り肥沃な地に回復します。それはかつて創世記に描かれた「エデンの園」のように美しく、花々は咲きみだれ芳しい香りを放ちます。(2)また6節に出てくる「荒野」や「さばく」のような荒涼とした場所も、やがて水が湧き出し潤沢な土地に造り替えられます。以前のかわいた地は豊かに水をたたえた水源にまで回復を遂げます。
 現代は人間の罪悪によって海洋、河川、土壌、大気の環境汚染は世界中で深刻化しています。戦火の爆撃による破壊、森林伐採や動植物の乱獲による死滅など目に余る人間の蛮行が平然と行われています。天地創造では「神が造ったすべての物…は、はなはだ良かった。」(創世記1:31)にもかかわらず、人間はそれを次々に壊して天然資源を搾取しました。しかし人が罪を悔い改め、神に立ち返り互いに和解するとき、神様はあわれみによって壊れた天と地を癒し再生してくだるのです。

2.人間性の回復(3~5節前半)
 神様は自然界だけでなく、人間にも回復をお与えになります。「弱った手」や「よろめくひざ」を強くしてくださいます。救いによる回復は肉体を健康にするだけでなく心とたましいを含む全人格に及びます。『心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。』(4)
 「その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。」(5,6)は肉体を指すだけでなく、回復力は霊的な盲人や主のみこえを聴く力の衰えた人を癒します。「足の不自由な人」は「しかのように」躍り上がります。「口のきけない人」が歌いだし、こうして人間の五体のすべてが回復して神の栄光を現し、賛美と感謝のために用いられます。

3.平和の回復(7,9節)
 かつては危険な野獣の住みかとなっていた場所に「葦、よしの茂りあう所」(7)に変わり、水が豊かで穀物を豊富に収穫できる場所となります。主にあがなわれた者だけが通る道は「聖なる道」(8)と呼ばれます。「そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。」(9)とあり回復された神の国は常に安全で、そこには安らぎと平和があります。

4.喜びの回復(10節)
 神様は自然界、人間性、壊れたものを次々に回復させ、平和で安全な世界を再生します。こうしてあがなわれた者たちが集う神の国は、神様をたたえて感謝と喜びに沸き返ります。
 年の初めに際して災いを避けて、この年を送れたらと誰もが思います。それゆえ運勢を調べ占いが盛んに行われます。厄年を気にする人は厄払いを行う人もいます。霊験あらたかとパワースポットが人気です。しかしわたしたち人間には一寸先でも未来を知ることは許されていません。人類のすべての未来は人の創造者である神様の御手の中にあります。

 新聖歌268番の「御国の心地す」の歌詞は、「悲しみ尽きざる 浮世にありても 日々主と歩めば 御国の心地す ハレルヤ! 罪 咎 消され死わが身は いずくにありても 御国の心地す」です。主にあがなわれた者はどんな災いが起きようと恐れません。災いの時も主は共におられるからです。それゆえ主にあがなわれた者は「喜びをいただき、歌うたいつつ、…楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る」のです。(10)神の国はとこしえに喜びの国です。わたしたちは神の国の住民です。だからパウロも「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」(ピリピ4:4)と命じるのです。