出エジプト記20章1節~11節

(1)神はこのすべての言葉を語って言われた。
(2)「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
(3)あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
(4)あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。(5)それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、(6)わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
(7)あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
(8)安息日を覚えて、これを聖とせよ。(9)六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。(10)七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。(11)主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

CSでは『主の祈り』と『十戒』を暗唱することを目標としています。今月、来月の二回を持って『十戒』の意味を学びます。ともに暗唱することにチャレンジしてみませんか。
 人間は迷いやすい存在であり、正しい道からそれてしまいやすいものです。正しく生きるためにはどうしてもある基準が必要です。神の律法は、人生の案内図であり、羅針盤のようなものです。この律法の原則に従って歩むならば、人生は神の祝福に満ちたすばらしいものになると約束されています(19:5,6、申命記4:40)。『十戒』は二つに分かれます。前半(1~4戒)は、神に対する人間の義務と責任を表しています。これが一番大切な第一の戒め(マタイ22:37)につながります。後半(5~10)は、人間の人間に対する義務と責任を示しています。これが第二の戒め(マタイ22:39)につながります。今朝は『十戒』の前半(1~4戒)を学びます。
1.『あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない』
 『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したものである。』神様はまさにイスラエルをエジプトから導き出された生ける神であり、彼らを愛し祝福するために御言葉を、戒めを与えられる神です。人類を創造し愛してくださる真の神を、父なる神と認めず他のものを神とするなら、それは父なる神を最も悲しませることです。また、もし心の中で、神以上に大切なものがあるなら、それも偶像です。お金、財産、地位、学歴、家族、名誉、快楽等が神以上に大切なものにならないように、いつも気をつけなければなりません。
2.『あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。』
 神を形に現してはならないこと、偶像を拝んだり仕えたりしてはならないことです。神は霊なる方であられるから形にすることはできないのです(ヨハネ4:24)。美術品は別として、礼拝の対象となるような画像、身につけていることで守られると思うようなもの、神のほかに何か自分のより頼むものを心に思い描くこと、すべては不必要です。また大変神様を悲しませませ、怒りを招くものです。すべて目には見えませんが、全能の神がともにいて、わたしたちを愛し最善に導いてくださっているのですから。『わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛しわたしの戒めを守るものには、恵を施して、千代に至るであろう。』(5,6)。
3.『あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。』
 神の名は聖なるものです。主の祈りの第一は『願わくは御名をあがめさせたまえ』です。『主の名を汚す者は殺される。』(レビ24:16)とあります。神は、ご自身の名が威厳を持って使われることを望んでおられます。それゆえ、神の御名をみだりに唱えてはならず、神の御名を用いて偽りの誓いをしてもいけないのです。神の御名によって誓った時には、必ずそれを守ることを要求されました(伝道5:4,5)。しかし時がたつに連れて、イスラエルは神の御名を軽んじて使うようになり、いいかげんな誓いもするようになりました(イザヤ48:1)。御名をみだりに唱えるものには神の裁きが伴います(出エジプト20:7)。人々が安易に誓いをするようになったので、イエス様は神の名によって誓うことを禁じたのです(マタイ5:33~37)。わたしたちは主の御名をみだりに唱えたり、御名を汚すことのないように、むしろ、クリスチャンとして、神に喜ばれる生活を通して、人々の間で神の御名があがめられるように、共に祈りたいと思います。
4.『安息日を覚えて、これを聖とせよ。』
 ここには四つのことが書かれています。①それを聖なる日とすること。②六日間ですべての仕事をすること。③七日目は主の安息なので、誰もどんな仕事もしてはならない。④安息日を守る理由は、神が六日間で天地を造られ、七日目には休まれて祝福されたから。申命記5:15にはもう一つの理由として、安息日は神がエジプトの奴隷状態から救い出して下さった、その恵のわざ、救いのわざを覚える日だからです。旧約時代は、金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日とされていました。ユダヤ人は家族で神を礼拝し、祈りと黙想の時を持ち、午後にはみんなが集まって、ラビの説教を聞き聖書を学ぶ。すなわち、神を礼拝し家族で交わる時でした。現代の日本社会でこれを守ることは難しいです。しかし一週間に一度は仕事を休み、神を礼拝するようにと命じておられます。それが人間の肉体にも、精神にも、霊魂にも、そして家族にも必要なのです。
 これらを完全に守れる者はひとりもいないでしょう。すべての者は罪人だからです。神が律法を与えられた一つの目的は、わたしたちが律法を守れない罪人であることを深く悟り、だからこそ救い主が必要であり、キリストを求めていくようになり、キリストの形に成長していくためです。律法は養育掛りなのです(ガラテヤ3:24)。十戒の前半のスピリットは『心を尽くし、精神をつくし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ。』です。今年も、益々神様を愛していけるようになりたいと思います。

出エジプト記19:5~6
それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。

申命記4:40
あなたは、きょう、わたしが命じる主の定めと命令とを守らなければならない。そうすれば、あなたとあなたの後の子孫はさいわいを得、あなたの神、主が永久にあなたに賜わる地において、長く命を保つことができるであろう」。

マタイによる福音書22:37
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

マタイによる福音書22:39
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

ヨハネによる福音書4:24
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

伝道の書5:4~5
あなたは神に誓いをなすとき、それを果すことを延ばしてはならない。神は愚かな者を喜ばれないからである。あなたの誓ったことを必ず果せ。あなたが誓いをして、それを果さないよりは、むしろ誓いをしないほうがよい。

イザヤ書48:1
ヤコブの家よ、これを聞け。あなたがたはイスラエルの名をもってとなえられ、ユダの腰から出、主の名によって誓い、イスラエルの神をとなえるけれども、真実をもってせず、正義をもってしない。

マタイによる福音書5:33~37
5:33 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:34 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。
5:35 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。
5:36 また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
5:37 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

申命記5:15
あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。

ガラテヤ人への手紙3:24
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。