聖 書 創世記11:27~12:8

(27) テラの系図は次のとおりである。テラはアブラム、ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ。(28) ハランは父テラにさきだって、その生れた地、カルデヤのウルで死んだ。(29) アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライといい、ナホルの妻の名はミルカといってハランの娘である。ハランはミルカの父、またイスカの父である。(30) サライはうまずめで、子がなかった。(31) テラはその子アブラムと、ハランの子である孫ロトと、子アブラムの妻である嫁サライとを連れて、カナンの地へ行こうとカルデヤのウルを出たが、ハランに着いてそこに住んだ。(32) テラの年は二百五歳であった。テラはハランで死んだ。(1) 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。(2) わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。(3) あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。(4) アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。(5) アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。(6) アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。(7) 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。(8) 彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。

クリスチャンは信仰の歩みが大切です。私達の日々の歩みはいかがでしょうか。自らの歩みを振り返ってみたいと思います。イエス様は『人の子が来る時、地上に信仰が見られるであろうか』(ルカ18:8)と言われました。それぞれに自らの歩みを振り返りってみましょう。そしてさらに神様に喜ばれるような信仰の歩みができるようになっていきたいと思います。今朝は、『信仰の父』と言われたアブラハムから学んでいきましょう。
Ⅰ.父テラの歩み
『テラは七十歳になって、アブラム、ナホル及びハランを生んだ。』(11:26)テラには三人の子供がいました。末の子ハランには、ロトと言う子供がいました。しかしハランは父に先立ち、生まれた地、カルデヤのウルで死にました。
子供に先立たれたテラの悲しみはいかばかりだった事かと思います。テラの心にどのような思いがあったのかはわかりませんが、テラは、息子のアブラム夫妻と孫のロトを連れてカナンを目指してカルデヤのウルを出ます。しかし、彼は目的地の途中ハランに住み着き、そこで205歳で死にます。人の心は変わります。志を達成する事は決して簡単な事ではありません。アブラハムはそのような背景の中を歩んできて、神の声を聞きます。
Ⅱ.アブラハムの従順
 古今東西を問わず、政治の世界であれ、経済の世界であれ、どのような世界であれ、民の声は何か、世論はどうか。世界の動向はどうなのか、ということに耳を傾けます。それは大切なことです。しかしここに世のどんな情報より大切な情報があります。それは天地万物を造り、世界を支配しておられる神の声です。世の情報はわたしたちの地上における生活を左右しますが、神の声は私たちの永遠の運命を決定します。『神は・・・語られました。』、『こういうわけだから、私たちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めなければならない。そうでないと、おし流されてしまう。』(ヘブル1:1,2:1)。私達は、神の声を聞いて、益々しっかりと心に留めなければなりません。
『 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。』(12:1~4) 。アブラハムは神の声を聞き、従いました。そしてカナンの地に着き、また神の声を聞き、そこに祭壇を築き、主の名を呼びました。
Ⅲ.聞くということ
 人格を持ち、言葉を語る人間にとって、聴くという事ほど大切なことはありません。パウロは『信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ10:17)と述べています。私たちにとって聞くか、聞かないかは、主が、『聞く耳のあるものは聞きなさい』(マルコ4:9,23)と言われたように、私たちの心の問題です。私達は何を聞こうとしているのか、何を聞いているのかによって、実質が量られます。また私たちが神の声を聞こうとしているのかどうかによって、私たちの心が神の前にどうかが量られます。私たちが信仰者として、またひとりの人間として成長していくのは、神のみ声を正しく聞いているかどうかにかかっています。(『成長』10/2参考) 信仰は神とつながる事だと聞いたことがあります。主につながるとは、主の声に聞き従う事です。日々の生活の中で、小さな事にも、神のみ声を正しく聞き、従っていく、よき習慣を身につけていきましょう。