聖書:出エジプト16:9-15,31-36

9 モーセはアロンに言った、「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたは主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたからである』と」。
10 それでアロンがイスラエルの人々の全会衆に語ったとき、彼らが荒野の方を望むと、見よ、主の栄光が雲のうちに現れていた。
11 主はモーセに言われた、
12 「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らに言いなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』と」。
13 夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。
14 その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。
15 イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。
31 イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
32 モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。
33 そしてモーセはアロンに言った「一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」。
34 そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。
35 イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまでマナを食べた。
36 一オメルは一エパの十分の一である。

 青々とした樹木、豊かに流れる川のほとり、そこにいるだけで人は潤いを感じるものです。しかし、荒野にはそのようなものはありません。人の心を絶えず潤してくれるような森林も、さわやかな風もないのです。あるのは、砂埃と岩と熱い日ざしです。エジプトを脱出したイスラエルの民が進まなければならなかった道は荒野でした。しかし、そこに神の祝福があるのです。
Ⅰ.つぶやきに応えてくださる
 エジプトを脱出したイスラエルの民はシンの荒野についたとき、モーセとアロンにつぶやきました。荒野の旅は大変困難な旅であり、エジプトからもってでた食料も底をつきはじめた頃です。荒野で食料を調達することなど到底無理な話でした。民たちは、こんなことならエジプトにいたほうがよかった、腹いっぱいで死んだほうがましだったと叫ぶのです。エジプトを脱出するときにみた神の業も、紅海を目の前にしてエジプト軍に追いつかれたとき救ってくださった神の業もこのときのイスラエルの民には何の価値もありませんでした。それは、神の業をみて感謝はしても、生ける神に対する信仰をもつことができなかったからです。そのような弱い民が信仰をもてるようにと、忍耐持ってつぶやきに応え下さるのが神様なのです。夕にうずらをもって肉を食べさせ、朝にはマナをもってパンを食べさせてくださいました。この恵みは荒野を旅する40年の間続くのです。
Ⅱ.日ごとに養ってくださる
 さて、マナを集めるとき神様は、こう命じられました。「民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」(4~5節)。マナは、一人が必要な分を集めることができました。それは朝ごとに取り入れるものでした。遅くに取りにでかけるとそれは溶けてしまっていました。また、翌日に残しておいたものは虫がついて臭くなりました。ところが六日目のマナだけは、翌日に残しても虫がつきませんでした。その分、七日目にマナを探しに行っても見つかりませんでした。こうして民は日ごとに新鮮な食べ物が与えられ、また安息日も守れたのです。荒野のど真ん中で神は、民の必要を満たしてくださいました。ところが民は、マナを翌日まで置いていたり、七日目にマナを探しに行ったり、神の約束を信じようとしないものがいました。神の約束をそのまま信じることができずに行動するおろかな民の姿をここにみます。しかし、神はそんな民たちが神の約束を信じきれるように、変わらず日ごとにマナを与え続けてくださる方なのです。
Ⅲ.生ける神を体験させてくださる
 神様が、イスラエルの民に対して、夕には肉を食べ、朝にはパンを飽き足るほどに養ってくださったのは、ただ民のつぶやきに応えるためだけではありませんでした。「そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう」(12節)。エジプトで長い間奴隷生活をしていた民に対して、エジプトの神々に勝る偉大な神、全能の神、このような神はほかにいないことをはっきりと知らせるためでした。荒野の中で、神が大勢の民に肉を与え、パンを供給されることを通して、民たちは生ける神を明確に体験し知るのです。体験に伴う感情は、いつか薄れていくものです。しかしその体験という事実は、次の荒野で神を信頼するものへと創られていくのです。