聖 書 列王紀下2:9~18 

9:彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。
10:エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。
11:彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。
12:エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、再び彼を見なかった。そこでエリシャは自分の着物をつかんで、それを二つに裂き、
13:またエリヤの身から落ちた外套を取り上げ、帰ってきてヨルダンの岸に立った。
14:そしてエリヤの身から落ちたその外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言い、彼が水を打つと、水は左右に分れたので、エリシャは渡った。
15:エリコにいる預言者のともがらは彼の近づいて来るのを見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言った。そして彼らは来て彼を迎え、その前に地に伏して、
16:彼に言った、「しもべらの所に力の強い者が五十人います。どうぞ彼らをつかわして、あなたの主人を尋ねさせてください。主の霊が彼を引きあげて、彼を山か谷に投げたのかも知れません」。エリシャは「つかわしてはならない」と言ったが、
17:彼の恥じるまで、しいたので、彼は「つかわしなさい」と言った。それで彼らは五十人の者をつかわし、三日の間尋ねたが、彼を見いださなかった。
18:エリシャのなおエリコにとどまっている時、彼らが帰ってきたので、エリシャは彼らに言った、「わたしは、あなたがたに、行ってはならないと告げたではないか」。

金 言 
「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。(列王紀下2:9)
 本日の聖書箇所は、旧約の偉大な預言者であるエリヤからエリシャへと預言者としての働きが継承(バトンタッチ)された場面です。モーセからヨシュアへ パウロからテモテヘと、聖書は神による人から人への信仰の継承の物語と言えます。キリスト教会の歴史も同じです。しかし、アブラハからロト(創世記19章、祭司エリから息子たち(サルエル上2:12)、パウロから信仰の破船に会った弟子たち(Ⅰテモテ1:19)のように、悔い改めがなく、信仰が継承できなかった例もあります。
 信仰の継承は、人間の業ではなく、神による御業であります。だからこそ、わたしたちは熱心に祈り励む必要があります。何もせずに「棚からボタモチ」はありません。その秘訣を本日の箇所かから学びましょう。
 エリヤ、エリシャの時代は、旧約聖書の最暗黒の時代と言われ、悪王アハブとその妻イゼベルがバアル礼拝を持ち込んだ時代です。その時代にアハブ王とバアル、アシラの偶像に仕える預言者たちと、たった一人で戦ったのはエリヤでした(列王上18章)。この時代には、祭司たちも堕落し、神殿での礼拝も崩壊して、人々の心も動揺し、バアル礼拝に流されていました。誰かが神の言葉を伝えなければ、イスラエル民族は、滅亡してしまいます。
1.信仰による出会い
 エリヤは晩年、エリシャとの摂理的な出会いがあります(例王下19:16,19)。信仰を持つ時、使命が与えられる時は、神による摂理的な人との出会いがあります。神の選びの時を逃さず、エリシャは、すぐに、エリヤに従いました(列王下19:21)。
 エリヤの預言者活動を終える時は、エリシャにとっては試される時です。神の試験は、自覚を促し、人を成長させます。
 エリヤが「どうぞ、ここにとどまってください」(2,4,6)と三度も言います。しかし、エリシャは「わたしはあなたを離れません」と一緒にいます。主イエスの弟子たちのように「先生の最期」まで生活を共にする弟子の姿があります。良き師、先輩の生活を見て学ぶことが多いのです(ヘブル13:7,8)。
2.信仰の継承
 「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」とは、使命の自覚です。この時代を見て、そしてエリヤを見て、抑えることのできない重荷を持ったのでしょう。しかし、困難でしり込みしたくなる使命で、人にはできません。
 第二の神の試験は、「エリヤの昇天」を見ることができるかということです。他の50人の預言者たちは「エリヤの昇天」を見ることができず、エリヤが行方不明になったと思い、捜索活動をします。同じ預言者でも違いがあります。主イエスの弟子たちが、主イエスの復活、昇天を見ることができたのと同じです。この世のしか見えないのか、「神の御業」を見ているのかの違いです。聖霊への服従があるかないかの違いです(ヨハネ14:15-17)。
3.信仰の証
 ほんとうの預言者は、信仰の証があります。エリヤの昇天後、エリヤの外套で、水を打つと、水が分かれました。「エリヤの神、主はどこにおられますか」と神に求めたからです。エリヤの信じる神は、エリシャの神という信仰です。エリヤの神、ペテロの信じた神、パウロの信じた神は、わたしの信じる神です(ピリピ1:3,4:19)。
 まだ、何もしていないのに、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」(15)と認められました。その人の品性に、聖霊の実を見ることができます。