聖 書 コリント人への第一の手紙13章13節
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
財産をお金でなくて金で貯えている方がいます。なぜ金には価値があるのでしょうか。一言で言えば、珍しくて、美しいし、変わらないためです。珍しいというのは、わずかしか産出しないため希少価値があるからです。美しいというのは輝く金属です。変わらないとは、錆びない金属だからです。ほとんどの金属は放っておくと酸化しますが、金は時間がたっても錆びません。いつまでも変わらず美しいままです。だから世界中の人は金を手に入れようとします。ところで聖書では金より優れた宝を三つ紹介しています。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
神は私たちに素晴らしいものをたくさん与えてくださいました。美しい自然環境だけでなく人類の若さ、健康、能力なども神様からの賜物です。しかしどんなに素晴らしい賜物でもいつまでも残る賜物ばかりではありません。若さもいつかは老いていきます。健康だった人もやがて病に打ち勝つことができなくなります。能力さえ歳をとると衰えてゆきます。しかし人が老いて、病になり、弱くなって死が向こうから近づいてきても変わらない、最後まで残る神からの宝物があります。
1.神からの信仰はたからもの
まずそれは信仰という宝です。人が歩けなくなっても、目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても、寝たきりになっても、神に信頼することだけは心の中でもできるのです。神に祈ることは身体が自由に動かせなくても可能です。私たちの存在のすべてを造られた神を信頼することは、私たちを地上の最後の瞬間まで支える力になります。人は人生が晩年に差し掛かるとだれでも体力は衰えて病気になり心細くなります。見える事柄だけで人生を判断するなら、老いてゆくと悩みが増えるばかりです。しかし、人が弱り衰えて自分が無力になっていくと感じたときに、私は気がつかないけれど神は一層力強く働いてくださっているんだと信じる人は支えられます。自分は何もできないから今だから、神が代わりに働いてくださると信じる人は「何があっても神様が守ってくださるから絶対大丈夫!」という平安が与えられます。これが信仰から与えられる宝です。
2.失われない希望はたからもの
次の宝は希望です。米という字は八十八回も世話をすることから生まれたと言われます。農夫が苦労をいとわずに重労働するのはなぜですか。秋になれば黄金色の稲穂を収穫できるという希望があるからです。受験生が寝る時間も惜しんで勉強に打ち込むのはなぜですか。したことが報われて合格できる希望があるからです。難病の患者が辛い治療を進んで受け入れるのはなぜですか。治療を受ければ治るという希望があるからです。希望は人を勇者にします。希望は人に冒険をさせます。希望は人に力を与えて、何かに挑戦する者に変えていくのです。キリストにある希望は復活の希望です。誰でもキリストを信じるなら、その人の罪は赦され、神の子とせられ、たとえ死んでもその先には素晴らしい天国に招かれているという希望が与えられています。死は未だ人類最大の敵です。それを遥かに超える十字架による救いこそ本物の希望です。
3.神が与える最高の愛はたからもの
最後にいつまでも残るものは神の愛です。神はあなたが何の役にもたたなくても、決して見放したり、見限ったりすることはありません。なぜそこまでに断言できるのでしょう。わたしたちがまだ罪人であった時、人になった神であるキリストは、十字架にかかられて私たちの罪の身代わりとして死んでくださいました。ところでほとんどの母親は自分の子供のためなら犠牲を払うことを惜しみません。しかしどのお母さんはしぶしぶ、イヤイヤながら我慢して犠牲を払うのではありません。それをすることが我が子のためになら喜んで行動します。しかし他人である罪人のために好きこのんで犠牲を払う人はほとんどいません。ところがキリストはあなたの罪を償うために、ご自分の命を捨ててくださいました。それは我慢しながらではありません。あなたが幸せになる姿をひたすら喜び十字架で死なれました。ここに永遠に変わらない神の愛が示されています。
【今日の私の祈り】神様、私たちのためにいつまでも残る宝、信仰・希望・愛を与えてくださっている恵みをありがとうございます。いつかは尽きてしまうものを頼みとするのではなく、心に生きる永遠の宝を守ります。