聖 書 ヨハネによる福音書7章37~39節
7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
7:39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
金 言 「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。」(ヨハネ7:38)
人間の体はほとんどが水でできています。子どもは約70%、成人は約60~65%水が占めています。人間は、水と睡眠さえとっていれば、食べなくても2~3週間は生きていられます。しかし、水を一滴も取らなければ、4~5日で命を落とします。体内の水は20%不足すると死に至るというこわい報告もあります。このように人にとって水はからだの生命を健康に保つために欠かすことができません。人間は水分補給をすることでからだは潤っても、心の渇きは水では満たせません。では心の渇望が満たされる方法はあるのでしょうか。
1.主イエスが仮庵の祭りで見たもの
「祭りの終わりの大事な日に」(37)とあります。この祭りは「仮庵の祭り」のことです。祭りの最後には「水取りの儀式」というのがあったようです。「仮庵の祭り」はイスラエルの民が荒野で四十年間旅をしたとき、民が渇いて水を求めると、苦かった泉の水が甘く変わり、モーセをとおして岩から水を湧き上らせた出来事を思い出しては感謝しながら、神の救いの完成を待ち望む時として行うユダヤの三大祭の一つです。この仮庵の祭りのクライマックスでは、大祭司が祭服を着て金の柄杓でシロアムの池から汲んだ水を神殿に向かって運ぶ行列を、イエスは群衆と一緒にご覧になったのです。このときイエスは「聖書に書いてあるとおり」(38)と言われましたが、これはイザヤ書12章の歌『見よ、神はわが救である。わたしは信頼して恐れることはない。主なる神はわが力、わが歌であり、わが救となられたからである」。あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。…』のことです。このような歌が歌われるにつれ、仮庵の祭りは最高潮に達しました。
2.主イエスはあなたの心に渇きを気づかせる
ところがイエスは祭りに集う人々が、「かつて祖先たちを荒野で養われたように、やがて我々も救いの泉からいのちの水を飲むのだ。」と神のみわざを本心から信じる者ではなく、群衆はただ形式的に祭りを守っているだけで、実際は神と神の約束を信じる信仰から離れている姿を見抜かれていたようです。このことはイエスの心を痛めました。昔あった信仰はすでに失われ、今は祭りの時に表面的に高揚しているだけでした。そこでイエスは大声を発して大衆に呼びかけます。「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。」イエスは人々が盛大な伝統ある祭りに参加しても、心は渇き満たされない思いがあることを見抜いて大声で言われたのは、人々の心にある「渇き」に気づかせ人々を招くためでした。救いの泉から流れる水は、イエス・キリストを信じる者にはだれにでも与えられる神の恩寵です。その水はみんなが汲んだら尽きてしまうような泉でなく、汲むそばからどんどん湧き上がる豊かな恵みです。この水に象徴されたのが「イエスの御霊」(39)であり「生ける水」(38)です。しかしその水を得るためには、まず渇きを自覚する必要があります。なぜならイエスは「だれでもかわく者は」(38)と言われました。渇きを神に求めることをしないで他の何かで自分を満足させようするなら、あなたの心は干からびて生ける屍状態になっていきます。からだに水が欠かせないように、心にもいのちの水が必要です。どんな渇きもいやすことができるイエス・キリストに求めることです。
3.一滴の水がやがて豊かな流れと変わる
水には想像以上の力があることを私たちは「3.11」の津波で知りました。水には大きな船や家や車を押し流すものすごい威力があります。このような水に象徴されるのが「聖霊の力」です。水は一滴のしずくから始まりそれが集まって流れを作りだします。流れ出せば抵抗できない水に等しい力が信じる者から聖霊となって豊かに流れます。私たちのからだが渇きをいやす一杯の水を求めるように、心の渇きのためには聖書のみことばを求めましょう。聖書は恵みの泉です。毎日に主のみことばを味わうことで心の渇きがいやされることを体験してください。みことばを味わえば味わうほどあなたは尽きることのない感動、希望、勇気、信仰を受け取ります。それらすべてが聖霊の働きです。みことばに対する驚きと感動がその人の中で小さな流れをつくり、それが次第に大きな流れとなり自分だけではなくまわりにも大きな影響を与えていくのです(38)。聖霊は私たちの内側から霊的な感動を湧き上がらせる力があります。神から与えられるみことばの恵みを一滴ずつ味わいたくわえて、渇く者からまわりを潤すまでの泉と変えられましょう。
【今日の祈り】
私たちの肉体は水がなくては生きて行くことができません。しかし人はからだの健康を保つ水だけでは不十分です。主イエスよ、あなたは私のたましいの渇きをいやし、私をまことのいのちに活かす「生ける水」を与えてくださいます。日々みことばを味わい感動して御霊に満たされた者となれますように、御名によって祈ります。