聖 書  ヨハネの第一の手紙4章9~10節
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。

金  言 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」                     (Ⅰヨハネ4:10)

 

人は人生でいやなこと苦しいことが重なり物事がどんどん悪い方向に向かうと「もはや神も仏もない」と嘆き憤慨します。それは私たちが今まで聞いてきた神様というのが、人間が作った神々のことを神と呼んできたからです。この神は拝めば御利益があるけれど、知らん顔するなら「罰が当たってたたられる」と恐れて、罪責感から人の恐怖心がこしらえたものを神と呼んできました。つまり人間の宗教心がこしらえたものを神と呼んできたのです。しかし聖書が語っている神様は、人が作った神ではなく、人をお造りになった方、あなたという存在そのもの、肉体と心と魂の造り上げたお方を聖書は神と呼ぶのです。今日は神様があなたをどんなに愛しておられるかを三つの視点から考えてみます。

1.神様はあなたに最適な「環境」を準備された
 人は神様を目で見ることはできません。見えない神がおられるのかおられないのか、もしおられるなら何をお考えになり、私たちに何を望んでおられるのか。それを知るために人間がいくら議論や研究してもわかりません。神の言葉である聖書に聞かなければ真実は知りえないのです。ところで車や家がつくられるときは必ず設計者と製作者がいます。それなら地球と宇宙を設計し造られた全能者がおられることは当然です。それを偶然の積み重ねや進化の結果と決めつけるのはあまりに愚かです。この世界は精巧で緻密に造られているからです。創造主は何もないところに光、陸地と海を造られ、植物、太陽や月と星、魚や鳥、そして動物と人間を造られました。人間は創造のみわざの最後に造られました。神様は私たち人間が住みやすい環境を整えたあとで、最後に人間を造られたのです。こうして世界の成り立ちを知ると、神様がどんなにか人間を愛されているかがわかってきます。人間の親でも生まれてくる赤ちゃんのために、ベビーベットや産着、哺乳瓶を出産予定日までにきちんとそろえますね。親は生まれてくる子どもが安心して幸せに生活できるように、色々な準備をします。私たちの「生みの親、育ての親」であられる神様も、それと同じように快適で生きるに相応しい環境をこしらえてから人間を造られました。

2.神様はあなたの「体」を見事に創造された
 人は置き忘れとかやり残しとかうっかりすることがあっても、うっかりして心臓が止まったとか、うっかりして息をするのを忘れてたなんてことはありません。なぜならこういう命にかかわる活動は、自分の意志とは無関係に動いているからです。私たちの体は自分の意志とは無関係に半年周期で生まれ変わるそうです。胃の粘膜は5日で古い細胞と新しい細胞が入れ替わるそうです。皮膚は28日で新品。これが新陳代謝です。ところが人間の臓器で新しくならない臓器もあります。その代表は脳です。なぜなら脳は知識を蓄積して記憶しておく場所ですから、古いものが消えたら困ります。こうして私たちの体の中には、新しく入れ替わらなければ生きていけない臓器は新しく入れ替わり、新しく入れ替わったら生きていけない臓器は入れ替わることはありません。それは自分の意志とは無関係なところで分別してそれをやりこなしているからです。どうしてそんなことができるのですか。わたしたちのDNAがそのようにプログラムされているからです。プログラムがあると言うことはプログラマーがおられるのです。それが私たちをお造りなった方、あなたのいのちの設計者、魂のルーツとなるお方、聖書はそれを神と呼ぶのです。ここにも神様の愛があります。

3.神様はあなたの「魂」を生かすために救い主を遣わされた
 私たちは神様の愛を十分に受けて生まれてきた存在なのです。聖書はさらに神様の愛の核心に踏み込んで教えています。それは人間が生きる環境を準備し、健康な体を造られたにも関わらず、私たちの始祖であるアダムが罪を犯したので、すべての人に罪のDNAも組み込まれて生まれてきたということです。神様はあなたが自分の罪によって人生を壊して滅びに向わないようにするため、さらに罪の赦しを与えるために、救い主イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいました。神様から罪のゆるしを得るためには神様が「良し」と認める方法でなさなければなりません。あがないのための身代金はキリストの血でした(エペソ1:7)。私たちの罪のために死んでよみがえられた方救い主イエス・キリストと共にあなたの人生を歩み出すことが、神様が無条件で与えてくださる福音です。この福音こそ神様の愛の究極の証なのです。このイエス・キリストをご自分の救い主として信じ受け入れてください。