聖 書 創世記37章3~11節
37:3 ヨセフは年寄り子であったから、イスラエルは他のどの子よりも彼を愛して、彼のために長そでの着物をつくった。
37:4 兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった。
37:5 ある時、ヨセフは夢を見て、それを兄弟たちに話したので、彼らは、ますます彼を憎んだ。
37:6 ヨセフは彼らに言った、「どうぞわたしが見た夢を聞いてください。
37:7 わたしたちが畑の中で束を結わえていたとき、わたしの束が起きて立つと、あなたがたの束がまわりにきて、わたしの束を拝みました」。
37:8 すると兄弟たちは彼に向かって、「あなたはほんとうにわたしたちの王になるのか。あなたは実際わたしたちを治めるのか」と言って、彼の夢とその言葉のゆえにますます彼を憎んだ。
37:9 ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、「わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを拝みました」。
37:10 彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、「あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。
37:11 兄弟たちは彼をねたんだ。しかし父はこの言葉を心にとめた。

金言 人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。(箴言16:9)

今年のTBCは当日数分前に計画が変更になったプログラムが二つありました。野外のプログラムは雨模様だったので急きょ変更せざるを得ませんでした。準備会で事前に十分な打ち合わせができていなかった新しい企画でしたが、結果としては大成功でした。生徒とスタッフが新しいプログラムを大いに楽しんだだけでなく、その夜の集会のメッセージに対する興味と理解を促されたことは思いもよらない効果でした。神様は人の目には残念に思えた悪天候さえもキャンプの祝福に変えてくださったのです。

1.人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」

イスラエル民族は神を信じて従ったアブラハムから始まります。彼は神に「あなたを祝福の基とする。あなたの子孫は星のように増え広がる。」と言われますが、このとき年老いた彼に子孫は一人もいません。ところが百歳のアブラハムと九十歳の妻サラからひとり子イサクが誕生し、イサクからエサウとヤコブが生まれます。ヤコブは二人の妻と二人のそばめから十二人の子を授かります。彼らがイスラエルの十二部族の始祖になり星のように増え広がります。神は「無から有を呼び出される」お方です(ローマ4:12)。

ヤコブは自分が年を取ってから生まれたヨセフを他の子よりも愛してかわいがります。ヨセフの母親ラケルはヤコブが一番愛した妻だったからです。ラケルは末の子ベニヤミンを難産で産むと亡くなってしまい、ヤコブはヨセフを一層特別扱いして長袖のきれいな着物をヨセフに作ります。他の兄弟たちはヨセフだけがかわいがられることに腹を立てます。えこひいきする父親ではなく、父親の寵愛を一身に受けて天真爛漫に育った弟ヨセフを憎み始めました。

あるときヨセフは自分が見た夢を得意げに話し始めるのを聞いた兄たちは我慢の限界が来ていました。ヨセフの見た夢は兄弟や父親が自分に向かっておじぎをして彼にかしずく夢でした。本来年下のヨセフが兄や父に従うべきなのに、ヨセフの夢では立場が逆転しています。それを聞いた兄たちはいきり立ち、ヨセフを異教のエジプトに奴隷として売り飛ばします。エジプトに売られたヨセフは罪を着せられ牢屋に入れられます。しかしヨセフはどんな境遇に落ちても神様を信じ続けます。やがてヨセフは神の不思議な計らいによって牢屋から出されて、エジプトの王パロの命を受けて国を統治する位に就きます。人の心には多くの計画があります。たとえそれが悪い企みでも神はそれを必ず良きものに変えられます。

2.神は人のピンチをチャンスに変えてくださる。

ヨセフの時代から約三百年以上後、エジプトではイスラエル民族が増えました。ヨセフの功績を知るエジプト人は亡くなり今やイスラエル人は奴隷生活を強いられていました。イスラエル人はあまりの苦しみから解放を神様に叫び求め祈りは天に届きます。神様はモーセをパロ王のところ遣わしてエジプトから脱出させ神を礼拝させようと交渉をさせます。しかしパロ王は恐ろしい災いがエジプトを次々に襲っても断固として拒否します。ついに神は「初子を殺す」という十番目の災いを発動させ一挙にパロ王を屈服させます。パロ王は軍隊を率いてイスラエル人を追いかけます。モーセと二百万のイスラエル人は行く手を紅海に阻まれて、後方からはエジプト軍が追い迫る絶体絶命の危機を迎えます。このとき神はイスラエル人の絶叫の祈りを聞いて奇跡を起こされます。紅海を二手に分けイスラエル人に海の底を渡らせると海の水を戻し、勢いよく追いかけて来たエジプト軍は大海に飲み込まれます。神は人のピンチをチャンスに変えてくださるお方です。何もかも計画通りに行かなくて不安でストレスが溜まり助けが欲しい時、あなたが神を信じ祈るなら人間の予想を超えた良い神のご計画が明らかにされます。

十字架は神のご計画であり、すべてを益と変える力がある。

イエスは人々のねたみや憎しみの的になり弟子のユダに裏切られて三十三歳のとき十字架上で殺されました。けれど人の憎しみや怒りがイエスを十字架へと追いやったのではありません。聖書は「このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのである」(使徒2:23)とはっきり宣言しています。イエスの十字架-それはあらかじめ定められた神の救いの計画であり、神はその実行を人の手に委ねたのです。十字架は目を背けるようなむごい処刑方法ですが、十字架を信じて救われた者にとっていのちをかけた神の愛がそこに見えます。神は人の罪を赦し救うためにご自身のひとり子イエスに罪を贖わせることさえ良しとされました。神の御子を十字架にかけるという史上最悪の出来事ですら神の御手の中にあったご計画なら、わたしたちが今抱えているどんな問題や試練も時が来れば愛の神はそれを益に変えられないはずはありません。人の視野は現実に翻弄される近視眼ですが、神の目線は全体を遠くまで見渡した鳥瞰です。わたしたちは毎日起きる小さなアクシデントに気落ちしないで、目には見えなくてもあなたを支えておられる神の愛をいつも信じることで、やがてあなたは神の驚くようなすばらしいご計画の全貌を悟る日が来るのです。神のご計画を待ち望みましょう。