聖 書 ヨハネの第一の手紙4章7~12節
4:7 愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
4:11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
4:12 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

金言

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(Ⅰヨハネ4:10)

  この手紙は、イエス様の弟子である、ゼベダイの子使徒ヨハネが書いたと言われています。「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの」(Ⅰヨハネ1:1)とあり、彼は実際に自分の目でイエス様を見て、自分の耳でそのみ声を聞き、自分の手でイエス様に触った、弟子のヨハネです。彼がこの手紙を書いた当時、既に、偽りの教えが教会に強い影響を与えていました。彼は、偽りの教えに惑わされないように、また、本物の信仰と生活とは何であるかを確認するためにこの手紙を書いています。

 

1.ひとり子が遣わされた理由・・・わたしたちが生きるため

9節「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。」神様がひとり子をこの世に遣わされた理由は、「彼によって」イエス様によって、わたしたちが「生きる」ようになるためなのです。

今、わたしたちは生きていて、ここにいますが、どのような生き方をしているでしょうか?今の時代は、誰もが閉塞感を感じるような現代です。そのような生きにくい時代のただ中にあって、この世の価値観に流されずに、イエス様のその豊かな命に生きるのです。わたしたちは、生まれながらのわがままな自分を生きるのではなく、神様に設計されて、神様に造られた、神様の作品としての、本来あるべきわたしを生きるのです。まことの命、まことの人生、本当にその人らしい生き方を生きるのです。その最高の模範がイエス様です。

 

2.御子が遣わされた理由・・・わたしたちの罪のためにあがないの供え物として

10節「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」神が御子をお遣わしになった理由は、「わたしたちの罪のためにあがないの供え物として」でした。ここにわたしたちの罪の問題があります。本来の自分を生きるために、罪の問題を解決しなければならないのです。

「あがない」という言葉は、「買い戻す」で、本来自分のものであったが、何らかの理由で失ったものを、買い戻すという意味です。「償う」という訳もあります。わたしたちの罪は、「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)とあるように、「死」をもってしか、あがなうことのできない非常に重いものなのです。

神様は愛であるお方であると同時に、きよいお方、正しいお方ですから、わたしたちの罪をそのまま見過ごしにすることはできないお方なのです。ですから、わたしたちを愛しておられる神様は、わたしたち人類全ての罪を御子なるイエス様に負わせるために、十字架でその罪を正しく裁くために、イエス様をこの世につかわされたのです。ここに神様の愛があります。イエス様の身代わりの死ゆえに、わたしたちは、信じるならば、なんと罪なしと認められて、神様のみ前に立つことができる者とされたのです。

この世のほとんどの宗教は、人間の方から神に向かっていくものです。聖書の神様は、神様が人間の世界に降りてきて下さり、「神がわたしたちを愛して」くださるのです。

 

3.神に愛されている者への命令・・・互に愛し合いなさい

神様に愛されているお互いがどうあるべきかです。11節「愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。」かつては、罪の中で自分勝手に生活していたわたしたちですが、神様の愛を知ったお互いですから、これほどまでに愛して下さった神様にならって、主の愛をもって、互に愛し合うべきですと勧めています。

12節「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」神様は霊であり、目に見えないお方です。この目に見えない神様は、わたしたちが互に愛し合うなら、わたしたちを通して現わされるのです。神様の愛を受けた者として、内に住んで下さる聖霊なる神様に励まされて、人に仕えていく時に、神様の愛が流れていきます。わたしたちは、神様の愛を流す管としての役割を担っていくのです。

この手紙を書いたヨハネも、かつては「ボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた」(マルコ3:17)と言われるほど気の短い人だったのです。その彼がイエス様の愛によって、愛の人に変えられて、この手紙を書いたのです。

わたしたちも、この主の愛に生きる者とならせていただきましょう。