聖 書 テサロニケ人への第一の手紙1章2~3節
1:2 わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、
1:3 あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。

中心聖句 「あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。」(Ⅰテサロニケ1:3)

今日はキリスト者にある宝について学びます。さて皆さん、お宝と言えば20年続いている長寿テレビ番組で「何でも鑑定団」という面白い番組があります。出演者が持ってくるお宝を専門家が鑑定して値段を決めます。あるお宝は予想を超えて高価な値が付いたり、高価かと思われたものがプロに偽物と見抜かれると安値になってしまったりという意外性があります。しかし今日お話しするキリストにある宝に偽物はひとつもありませんし、キリストにある宝は壊れたり、しみやキズによって価値が下がることもなく、黄金やダイヤモンドではありませんが永久に輝き続けます。この宝はお金で買うことができませんが、どんなに貧しい人でも手に入れることができる宝なのです。あなたもこの宝を自分のものにしたくありませんか。

1.信仰の働き

今日の聖書箇所はパウロがテサロニケで主を信じた人々に宛てた手紙です。パウロとシラスがテサロニケに足を延ばしたのは第二次宣教旅行でした(使徒16章)。彼らはアジア州の端でマケドニヤ人が「私たちを助けてください」という幻を見て海を渡ってピリピへと向かいます。二人はピリピで牢屋から釈放された後、テサロニケに着きます。そこにあったユダヤ人の会堂で、「イエスこそキリストである」と論証をすると、異邦人である信心深いギリシャ人たちは受け入れますが、同朋のユダヤ人たちはパウロたちを「ねたんで、町をぶらついている、ならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせ」(使徒17:5)ました。テサロニケで福音を聞いたヤソンは危険を承知でパウロとシラスを自分の家に泊めます(7)。ユダヤ人はそれを怒りパウロたちを「天下をかき回してきたこの人たち」(6)と悪者扱いして、群衆を扇動させて騒ぎだし市政を混乱させます。主を信じたヤソンたちは、パウロとシラスをかばったことで保証金を払わされ損をします(9)。ヤソンがローマ16:21に出てくる人なら彼はユダヤ人です。聖書は「いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」(ヤコブ1:2)と言いますが、正直に言えば試練を喜ぶことは難しい。しかし人は物事が順調にいっている時にはあまり祈りません。信仰を働かせることはなく、信仰の出る幕はありません。信仰を働かせ祈らなければやっていけないような時こそ、神はあなたのそば近くにいてあなたを助けようと待ち構えておられるのです。

2.愛の労苦

愛とは自分に犠牲を強いても骨惜しみをしないことです。パウロがテサロニケで語った福音によって、救われてクリスチャンとなったアリスタルコは、その後パウロの旅に同行します。それによってエペソでは騒乱にあい捕まります(使徒19:29)。アリスタルコはパウロが献金を携えてエルサレムに上るとき、テサロニケの教会の代表として同行しています(使徒20:4)。彼はパウロがローマの獄中から書いた手紙に「わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコ」(コロ4:10)とあり、彼はテサロニケで生まれたパウロの貴重な同労者となります。イエスの愛によって救われた人は労苦を惜しみません。

「東洋のシンドラー」とも呼ばれる杉原千畝(スギハラ・チウネ)さんをご存知ですか。彼は正ハリストス教会のクリスチャンでした。第二次大戦下の1940年、リトアニアの首都マナウスで日本領事館に代理領事で赴任していた彼のもとに、ある朝ナチス・ドイツによる大虐殺を逃れようとして、難民となった多くのユダヤ人たちが押し寄せます。彼らの悲願は、ソ連・日本を経由して第三国のアメリカや南米にビザを発給してもらうことでした。杉原は日本政府がビザ発給を拒否したことで夜通し悩み祈った結果、夫人に「ビザを出さなかったら、神に背くことだ。私は自分の責任において明日から発行する」と決意を告げます。それから彼は朝から晩まで退去命令が下る最後の時までビザを書き続けて、約六千人のユダヤ人の命を救ったと言われます。後年報道で騒がれても彼は「当然のことをしただけです。」と謙そんに語りました。

3.望みの忍耐

クリスチャンが信仰の働きや愛の労苦を忍耐強く続けられるのは、失われることのない再臨の希望があるからです。この手紙はキリストの再臨を強調しています(4:13~5:11)。人は地上の生涯だけに望みを置くなら、年を取り死が近づくほどの望みは失われます。しかし私たちは「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。」(テト2:13)とあり、クリスチャンは再臨を待ちわび互いに希望を持って励まし合い忍耐することができます。