聖 書 ヨハネによる福音書1章40~45節、Ⅰテモテ2章5節
(40)ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
(41)彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。
(42)そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。
(43)その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。
(44)ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。
(45)このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。
Ⅰテモテ2章5節
(5)神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。

自分の友人や兄弟を他の友人に引き合わせることで、新たな友情が二人の間で始まる場に立ち会うのは紹介者としてとても嬉しいものです。その人の永遠を左右するほどの出会いだと呼べるのは、人がイエス様と出会うことでしょう。今日はその重要な役割を果たした弟子アンドレとピリポにまず焦点を当てます。

1. 家族にイエス様を紹介したアンドレ
ヨハネ福音書は、十二弟子がイエス様のもとに招聘された出来事を、マタイやマルコとは異なった書き方をしています。アンドレはバプテスマのヨハネにイエスは神の小羊と教えられて、イエスの後を追いその話を間近で聞いて、イエスこそは私たちユダヤ人が待望してきたメシヤ(キリスト)だと直感します。自宅に帰ったアンドレは兄のシモンに「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」(42)と感動冷めやらぬ面持ちで伝えます。「そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。」のです。(42)アンドレは感動が行動に表れました。イエス様に会った兄シモンはペテロと言う新しい名で呼ばれます。イエス様との新しい出会いによってペテロの人生が生まれ変わりました。アンドレがすぐに兄をイエス様に紹介できたのは常日頃仲の良い兄弟だったからです。また家族の信頼関係が深かったので、兄は弟の呼びかけにすぐに応じました。
最初に家族伝道を実践したアンドレを見習って、あなたが家族に仕え愛の働きかけを怠らず、信仰にある喜びをさりげなく口にして信頼関係を築いていく時、いつかきっと愛する家族を教会に誘うことや福音を伝える機会は訪れます。

2. 友人にイエス様を紹介したピリポ
次はイエス様を友人に紹介したピリポです。翌日ピリポはイエス様に会います。彼はアンドレやペテロと同郷のベツサイダというガリラヤ湖畔の町の出でした。互いに顔見知りだったかもしれません。ピリポもアンドレと同様にイエスこそメシヤだという確信がありました。それは友人ナタナエルに語った言葉でわかります。「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。(45)ピリポという人は旧約聖書の知識に精通した学識がある人だったようです。これを信仰の友(ユダヤ教)のナタナエルに話すと、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。(46)と一蹴されてしまいます。しかしピリポは自分の体験に自信がありましたからひるむことなく「きて見なさい」とナタナエルに訴えます。ナタナエルはピリポの見当違いを正そうと来て、イエスに虚をつかれすぐに救い主を信じます。
この二人は12章20~22節で一緒にギリシャ人にイエス様を引き合わせています。最初にピリポのところにイエス様に会いたがっていた人々が面会に来ました。すると「アンデレとピリポは、イエスのもとに行って伝えた。」(22)のです。二人はイエス様との仲を取り持つことに長けていました。二人は誰でも相談を持ち掛けやすい人好きのする人でした。わたしたちもアンドレやピリポのように、誰かの救いに関わることでイエス様に喜んでいただける弟子になりたい。

3. 神と人を取り持つイエス・キリスト
アンドレとピリポは救い主に出会えた驚きと喜びを愛する人たちに伝えたかったのです。彼らが信仰をもって伝えると聖霊が働かれ救いは拡大しました。
「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられ」ます。(Ⅰテモテ2:4)もし天におられる神が啓示する真理を地に住む人に正しく伝えようとするなら人にそれを通訳する人が必要になります。神の御思いを人に伝える『仲立ち』をすることができるのは唯一、神のひとり子でありながら人となられたイエス・キリスト様だけなのです。「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」(Ⅰテモテ2:5)イエス・キリストはわたしたち人を愛され神の真理を伝えるために人として生まれて、神と人を取り持つことを初めになさった方です。(ピリピ2:6)