聖 書 エペソ人への手紙3章1節~13節
(1)こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ――
(2)わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたであろう。
(3)すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
(4)あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
(5)この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
(6)それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。
(7)わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。
(8)すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、
(9)更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。
(10) それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、
(11)わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。
(12)この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。
(13)だから、あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのである。

私たちの人生において必要なものに「資格」があります。まず学歴が問われますが、学業というものは、単に知識を得るということではなく、それによってどのような資格が得られるか、と言うことが重要なのです。主たるものには国家公務員、地方公務員、教員資格、医師免許、介護士免許等々です。その他、華道、茶道、書道などなど、まさにこの世は資格社会といっても過言ではありません。
聖書にも資格に似た「奥義」という言葉があります。奥義とは人間の知性や経験や努力によっては到達できない「資格」を意味しています。それはこの世のことではなく、神の世界における事柄なのです。そもそもこの「奥義」は「ミステリー」とか「秘義」を意味している言葉なのです。具体的に聖書における「奥義」とは、神がメシヤ(救世主)として遣わされた「キリスト」を意味し、またキリストによって私たちに伝えられた「福音」を意味していると言えます。

Ⅰ 奥義の伝達方法とその目的 (1~6)
奥義と言う言葉は旧約聖書には出ていません。旧約における祭儀はすべて秘儀として行われたものであって公開されたものではなかったのです。しかし新約では奥義という言葉が良く出てきます。特にパウロは奥義に関して重要な発言をしています。
1.啓示によって奥義を知らされた。
2.御霊によって啓示されている。
3.異邦人が選民と共に、神の国をつぐ者となり、共に約束にあずかる者となるた   めである。

Ⅱ.奥義の伝達対象とその内容  (7~12)
1.福音の僕とされたパウロ
ここでパウロは、「わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされた」と言っています。ここでパウロは「聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられた」とも言っています。つまりこの奥義はすべての人に提供されていることを意味しているのです。
2.奥義の内容
パウロは啓示された奥義の内容を「無尽蔵の富」と表現しています。無尽蔵の冨とは「いくら使っても尽きることない富」のことであり、キリストの奥義をそのように表現しているのです。その他パウロは「富・宝」について次のように述べています。
(1) 無尽蔵の富 エペソ3:8
(2) 知惠と知識の宝 コロサイ2:3,ローマ11:33
(3) 慈愛と忍耐と寛容の富 ローマ2:4
(4) 神の絶大な富 エペソ2:7
(5) 栄光の富 ピリピ4:19、ローマ9:23
3.奥義にあずかる務めと栄光
パウロは主からこの奥義を啓示されたのは、「万物の中に世々隠されていた奥義にあずかる務めがどんなものであるかを、明らかにするため」でありました。この務めは「天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知惠を知るにいたるためであって、わたしたちの主イエス・キリストにあって実現された神の永遠の目的にそうものである」のです。何というスケールの大きな務めではないでしょうか。

Ⅲ.奥義を受けとる方法その特権 (12~13)
1.キリストに対する信仰
啓示された奥義を受け取る方法はただ一つです。そこには必要な時間も、必要な金銭も、必要な努力も、すべてが不要なのです。唯々、キリストに対する信仰だけなのです。信じるという心の働きによって私たちはこの奥義を受け取ることができるのです。この信仰さえもが、実は神の賜物なのです。
2.神に対する接近
この信仰は、ただ奥義を受けとるだけで終わるのではなく、確信を持って、大胆に、神に近づくことが出来る特権が付与されるのです。そこには何の遠慮も、何の気遣いも、何の恐れも入り込む隙がないほど、一体となる関係が構築されるのです。
3.患難に対する勝利
パウロは今や獄中の身分です。人々にとっては決して他人事ではありません。明日はわが身か、という恐れがあります。また、パウロに対する同情心、また福音宣教に対する敗北感や落胆が起きてくるのもごく自然です。しかしパウロは彼らに対して「落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難、あなたがたの光栄なのである」と力強く証言しています。

「この奥義はあなたがたのうちにますキリストであり、栄光の望」(コロサイ1:27)なのです。これ以上の素晴らしい資格はありません。天国にあっても通用する資格である「奥義であるキリスト」を信じ、受け入れ、確信に満ちた人生を共に歩ませて頂きましょう。