聖   書:マタイによる福音書 第28章18~20節
28:18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
28:19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
28:20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

 先週はペンテコステ礼拝でした。ペンテコステの主日の次の日曜日となる本日は伝統的に三位一体主日と呼ばれます。本章ではイエス様はイスカリオテのユダを抜かした11人の弟子に向かって「父と子と聖霊との名によって」(19)おごそかに命じています地上での最後のひと時、イエス様は三位一体の神の権威をもって弟子たち別れを惜しまれました。しかしそこには惜別の悲しみというより、遣わすお方気迫に満ちた権威が感じられ、弟子たちへの期待に満ちています。

1.すべての権威のもと
 まず主イエス様がおっしゃられたことは「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。」(18)という宣言でした。天と地のすべての場所、すべての時は、父なる神から支配者としての力と権威を授けられました。イエス様は死から甦った偉大な力をもって、すべてのものを制して支配されます。支配をすると言っても権威をふるっていばるということではありません。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」(ピリピ2:6,7)とあるように、イエス様は神であられるのにへりくだられました。この権威と言うのは、天においても地においても神のみこころを行う力です。神のみこころはわたしたちが救われることを切に求めるみこころです。神は「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられる」(Ⅱペテロ3:9)のです。

2.すべての民を弟子とする
 イエス様の救いのみわざはどのようにして行われるのでしょうか。19節の冒頭の言葉は「それゆえに(だから・新共同訳)」と語り始めます。やがて十一人の弟子たちは教会の代表者となっていきます。彼らはキリストご自身から送り出されて世界に出て行きました。使徒行伝6:8には神の言は、ますますひろまりキリスト教徒の数が増えてきたとき弟子の数が、非常にふえていき」とあります。彼らは自分たちのことキリスト教徒や信者、教会員の呼び名ではなく、弟子と呼んでいました。弟子になるためには父と子と聖霊の名によるバプテスマを受けることでした。キリスト教会の教理の基本となる三位一体の最初の表現がここにあります。三位一体の神によって洗礼を受けた人々は、教会の仲間と共に主イエスの弟子の生活を始めます。このことがすべての民において始まるように教会は働いています。今日の聖句マタイ28:19~20の伝道の命令の「あなたがた」という言葉は教会に置き換えられます。

3.いつもあなたがた(教会)と共に
 この伝道の命令には「all(すべて)」ということばが4回出てきます。れは、「いっさいの権威」「すべての国民」「いっさいのこと」「いつも」です。イエス様と弟子たちの地上における別れの言葉は、栄光の主からの力強い命令と、世の終わりまであなたがたと共にいるというとこしえの慰めで結んでいます。主の命令は二千年経た今も同じ力があります。それは「世の終わり」つまり再臨の時まで有効で、教会の時代は伝道の時なのです。「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(Ⅱテモテ4:2)