聖 書:マルコによる福音書 第16章12節~20節
16:12 この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
16:13 このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。
16:14 その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
16:15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
16:17 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
16:19 主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
16:20 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。

 

入学や入社のシーズンで世の中は新年度を迎える四月、教会も先週のイースターが年度の最初の礼拝でした。幸先の良いスタートを切って、本来「救いによって古きは過ぎ去りすべてが新しくなった」はずですが、時折古い自分が見え隠れします。昔からイースターはこれまでの自分の信仰の至らなさを悔い改める良い時期だと言われます。そこで年毎のイースターで復活の新しいいのちにいただき、緩んだ信仰生活をもう一度仕切り直して今年度を始めましょう。イエス様の弟子たちはイースターを境に信仰が復興します。

1.復活を信じなかった者
 とはいうもの、初めは弟子たちのなかには「主はよみがえられて生きておられる。」と知らせを聞きながらも、なお不信仰と心のかたくなさゆえに、信じようとしなかった者たちもいました。彼らはマグダラのマリヤが墓の前で主にお会いした出来事(11)や、エマオの途上で主と語らった二人の弟子の話を聞いても簡単には「信じなかった」(13)のです。二千年前も21世紀の現代でも復活とは突飛な話で当然の反応とも思えます。弟子たちでさえも簡単に信じなかった事実が聖書に記されていることが返って「復活」の真実性を際立たせます。わたしたたちは「死んで三日たった人をよみがえらせる途轍もないの力」を畏れて神様にひれ伏します。主イエスが復活されたことで、わたしたちの罪は死と共に葬られ、キリストにある新しいいのちを与えられ、困難にも負けない朽ちない希望を持っています。主は常に弱い私たちと共にいてくださり、苦しみ悩み迷うときに励まし義の道に導いてくださいます。パウロは「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。」(Ⅰコリ15:14)「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。」(17) と言っており、このように復活はわたしたちの信仰にとって決定的な出来事でした。イエス様は集まっていた11人の弟子たちに復活の顕現によって宣教命令を命じます。

2.復活を信じる者への幸い
 このときイエス様が命じた宣教命令「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(15)が歴史の事実となって実現するのはペンテコステによって聖霊が一人ひとりに下ってからになります。「全世界に出て行って」と言われてもとぴんときません。ですが自分を取り巻くすべての隣り人は全世界への一歩であり、良き知らせ(福音)を伝えるべき人です。そう考えるとわたしたちにも主が言われた「全世界」が身近に感じられます。またKGK、キングスガーデン、ギデオン、PBAなど宣教団体を覚えて祈ることや献金によって彼らの宣教を支えることができます。
17~18節の数々のしるしは、のちに使徒の働きで実際に起こりました。「わたしの名で悪霊を追い出し、」(使徒16:18、19:12)、「新しい言葉を語り、」(同2:4)、「へびをつかむであろう。」(同28:5)…「病人に手をおけば、いやされる」(28:8) 。復活を信じて救われた者には「しるし」が与えられます。「しるし」は信じるために与えられるのではありませんが、教会草創期はこうした目を見張るようなしるしが起きたことで、信じる人が日々増し加わり弟子たちによって神の言は力強く大胆に語られました。

3.イースター、新しいたびだち
 マルコの終章は「主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。」(19)と主イエスは復活されて勝利の昇天を果たされた。地上に残されておびえていた弟子たちは、復活の主にお会いすることで、励まされ信仰と勇気を取り戻し「出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。」(20)と希望に満ちた明るい証言で終わります。このようにして福音は二千年此の方、教会の働きによって世界の隅々にまで宣べ伝えられています。イースターはよみがえりのいのちに満たされた新しいたびだちの始まりです。

インマヌエルの主は常に信じる者と共におられます。「主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。」(20)とあり、今も主は教会を助け共に労苦し働かれています。復活によって死に打ち勝った主は「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハ16:33)と宣言されています。