聖 書:ヨナ4章1節~11節

(1) ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、(2) 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。(3) それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。(4) 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。(5) そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。(6) 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。(7) ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。(8) やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。(9) しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。(10) 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。(11) ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

 今夏は久方ぶりに朝顔の垣根造りに挑戦した。8月に韓国キャラバン宣教団が来日することと、初孫が神戸からやって来ることがその主な動機であった。15本程の苗と腐葉土などは園芸店から調達した。路地植えにしたかったが、適当な場所がないので仕方なくプランターにしたのが些か気がかりではあったが、それでも体裁は整った。日頃は家内の世話する植木などの水やりには全く非協力的であった者が、不思議なことに朝顔には朝夕水やりを忘れたことはなかった。最初の花が咲くまで心配でならなかったが、ひとたび咲くや色とりどりの朝顔が8月一杯咲き誇り、見る者に大きな喜びを与えてくれた。
 ヨナはアッシリヤ帝国の主要な町ニネベに使者として派遣されたが、それを拒んで海路でタルシシへ向かった。しかし主は大風を起こされ、その原因が自分にあることを認めた結果、彼は海に投げ込まれる。そして嵐は止んだが、ヨナは三日三晩大きな魚の腹の中で過ごすという試練に出会った。ヨナはそこで神に祈った。祈りの結果「救は主にある」という結論に達した。そしてヨナは救われた。
 そこで改めてヨナは主から「40日を経たらニネベは滅びる」(3:4)という言葉を授かる。しかしこのうわさを聞いたニネベの人々は「神を信じ、断食をふれ、荒布を着た」(3:5)。更にそのうわさが王にまで達するに及んで、王は「その王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した」(3:6)。そしてニネベ中に悔い改めて、神に立ち返ることを布告した結果、人々は悪の道から離れた。神はこうしたニネベの人々の改悛の姿を認められ、「彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった」(3:10)のである。
 これで「めでたし、めでたし」で終わって良いはずであるが、実際はそうではない。どこに問題があるのか。問題は預言者ヨナ自身の中に、その自尊心の中にあったのである。
ヨナは「わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです」(4:2) と言っている。「ニネベは滅びる」と布告しても、あわれみ深い神は、彼らを助けられるのであれば、自分は何のために布告したのか、自分の働きは何だったのか。「それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです」(4:2)と、ニネベからの逃避は自尊心を壊されたくないためであったと告白している。その自尊心が壊された今、「どうぞ今わたしの命をとってくださ
い。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」(4:4)と訴えている。
 神は怒り狂うヨナに「とうごま」を日陰としてお与えになった。しかしその木が一夜にして枯れてしまった。またもやヨナは「生きるよりも死ぬ方がましだ」と叫ぶ。そこで神は「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」(4:10,11)と、はじめてその真意をヨナに示されたのである。
1本の植物と多数の人間のいのちとを比較しながら、神がどんなに人のいのちを惜しんでおられるかを本書は示している。我らもまた、神の大きな愛とあわれみを信じて、霊魂に対する重荷をしっかり持たせて頂いて、より多くの人々に福音を伝えさせて頂きたいと願ってやまない。