聖 書:使徒行伝1章6節~11節

(6) さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。(7) 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。(8) ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。(9) こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。(10) イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて(11) 言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。

 プロテスタント宣教は1859年(安政6年)に始まりましたので、2009年には記念すべき150周年を迎えます。そこで記念委員会では「キリストにあって一つ-主イエスの良い証人として-」の標語のもとに記念大会を開催することにしています。
Ⅰ.証しの動機-なぜ証言するのか-
 1.キリストの命令であり、切なる願いです。キリストは「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)と命令されました。また主は「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望」(Ⅱペテロ3:9)んでおられます。
 2.キリスト者の務めです。主は「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて~わたしの証人となる」(使徒1:8)と言われました。すべてのキリスト者はキリストの証人なのです。
 3.人類最大の欲求であり、叫びです。
 パウロは「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」(使徒 16:9)という悲痛な叫びを聞き、そこからヨーロッパ伝道が始まりました。
現代においても救いを求める悲痛な叫びが聞こえるのではないでしょうか。
Ⅱ.証しの内容-何を証言するのか-
 1.十字架・苦難の証人=ペテロは「あなたがたは~いのちの君を殺してしまった。・・わたしたちは、その事の証人」(使徒 3:14-15)、「わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人」(Iペテロ 5:1)であると言っています。
 2.復活の証人(使徒2:32、3:15)=キリスト教は十字架と復活の宗教です。十字架がなければ冠はありません。復活がなければキリスト教は単なる倫理道徳に過ぎない教えになってしまいます。「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(Ⅰコリント15:20)の叫びと共に全世界に広がって行ったのです。
 3.愛の証人=「彼らは、諸教会で、あなたの愛についてあかしをした」(Ⅲヨハネ6)。「あなたがたも互に愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。キリストは私たちが互いに愛し合うことを願っておられます。
Ⅲ.証しの発露-どのように証言するのか-
 韓国教会の隆盛は三大液体に起因していると聞きます。三大液体とは殉教者の血、涙の祈り、宣教の汗です。わが国のキリスト教史においても大勢の殉教者の血が流されています。私たちはそのことを忘れてはなりません。ただ涙の祈り、宣教の汗に関してはその流す量が少なかったとを反省し、悔い改めなくてはなりません。
 プロテスタント宣教150周年の年を共に画期的な年にしたいと願っています。要はすべてのキリスト者がキリストの良い証人として、ここから立ち上がることではないでしょうか。