聖 書:第一テサロニケ5章23節~28節

(23) どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。(24)あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。(25) 兄弟たちよ。わたしたちのためにも、祈ってほしい。(26) すべての兄弟たちに、きよい接吻をもって、よろしく伝えてほしい。(27) わたしは主によって命じる。この手紙を、みんなの兄弟に読み聞かせなさい。(28) わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。

 教会創立50周年記念新年聖会。創立者の森山諭先生が語り、中田羽後先生が歌ったメッセージは聖化と再臨。再臨に備え、全ききよめは必須。だからこそ、使徒パウロはその成就のため祈っている。
Ⅰ.きよめの本源 
 「どうか平和の神ご自身が」。きよめは神ご自身がなさるみわざ。「きよめたもう神」がご責任をとられる。その神は「平和の神」。「神との平和」をもたらし、「神の平和」を与える神。きよめは神の賜物である。
Ⅱ.きよめの本質
 「全く」きよめ。神は中途半端なみわざをなさらない。きよめの本質は分離と献身。
 ①分離
 罪、汚れからの分離。犯罪と内在の罪の解決はただ十字架による。荻窪での新生の恵み。ここは私の第二の誕生の地。忘れ得ぬ大学2年の秋の一日。
 ②献身
 神のものとなること。全き明け渡し。主イエスの死に場所はカルバリーの前のゲッセネマ。そこはみこころのままにの全的服従の場所。「若き日に磐梯ありてきょうもなお、み旨の大路われはかしこむ」(工藤)。
Ⅲ.きよめの領域
 「霊と心とからだ」。幕屋、神殿は三重の構造。外庭、聖所、至聖所。われらは生ける神の宮。「霊」、神との交わりの場所。神のみ顔、み声、み手のある至聖所。「心」、知情意の働く場所。ウイルクス先生のいう聖化。良心、意志、願望、愛情、想像、思い、記憶のきよめ。「体」、実際生活の全てにおける聖化の恵み。
Ⅳ.きよめの到達点
 主イエス・キリストの来臨の時。恐れなく、責められるところなく。聖化と再臨待望は直結する。
エノクのように神と共に歩み、そのまま携挙。不断の臨在信仰の延長線上に一瞬の再臨、復活、栄化あり。
Ⅴ.きよめの保証
 召してくださったお方は真実。彼これをなし給わん。始められたお方は完成されるお方。彼は偽ることのできないお方、はじめた救いを完成することを絶対に保証されるお方。
 全ききよめ!きよめの本源は神、本質は分離と献身、領域は霊、心、体、ゴールは再臨、保証は真実な神。ハレルヤ!