聖 書:ヨハネの黙示録22:12~21

(12) 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。(13) わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。(14) いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。(15) 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。(16)わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。(17) 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。(18) この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。(19) また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。(20) これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。(21) 主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。

 2008年4月から始めた黙示録講解説教もいよいよ最終回となりました。当初は37回の予定でしたが40回となりました。黙示録22章6節以下には黙示録の結論が記されています。2回に分けましたが本来は一つの部分です。本日のテキストから結論的なメッセージを聞くことに致しましょう。
 
Ⅰ.わたしはすぐに来る。(12、20)
 終末や再臨に関する記述は福音書や書簡にも記されています。ここに調整すべき二つの課題があります。一つは「すぐ」の解釈です。「すぐ」と言いながら、あれからすでに二千年も経過しているではないか、という疑問が起こってきます。初代教会にも「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」(Ⅱペテロ3:4)とあざける者たちが存在していました。これに対してペテロは「一日は千年のようであり、千年は一日のようである」(3:8)と答えています。もう一つは再臨されるキリストは、三位一体の神として常に私たちと共に臨在しておられる、という信仰との関係です。こうしたことから、キリストはすでに再臨しておられる、と考える人もいます。しかし私たちの信仰は臨在される主を信じると共に、キリストはこの世の審判と新天新地の創造のために再臨されることも信じて待ち望んでいるのです。
Ⅱ.輝く明けの明星 (16)
 「わたしはすぐに来る」と言われるお方は「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(13)、また「わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」(16)と言われます。この内容には人間的にはダビデの子孫、イスラエル王国の正当な継承者であることと、絶対者である神であることが含まれています。「明けの明星」とは金星を指しています。水星と共に太陽に一番近い星で、太陽が昇る前と沈む前に輝くので、宵の明星とも呼ばれます。ここでは神の日の到来を知らす役割を担うという解釈と、キリストは永遠に光り輝く希望の星であるという解釈があります。双方共に再臨されるキリストこそ人々の究極の希望であることを教えています。
Ⅲ.アァメン、主イエスよ、きたりませ。(20)
「すぐに来る」と言われるキリストは「報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう」(12),「かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」(17)と言われます。そのためには「自分の着物を洗う」(14) 必要があります。反対に「犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出され」(15)るのです。また預言の言葉に「書き加える者」は「災害を加えられ」(18)、「とり除く者」(19)は「聖なる都から、とり除かれる」(19)のです。以上のことを肝に銘じながら、「アァメン、主イエスよ、きたりませ」と応答する者とさせて頂きましょう。
黙示録は私たちに希望と喜びを与える預言書です。時に恐怖心を与えるような興味本位の解釈がありますが、聖書の啓示を越えた解釈は厳に慎まなくてはなりません。「主は近い」(ピリピ4:5)のです。「今の時を生かして用いなさい」(エペソ5:16)と聖書は勧めています。今を大切にして生きましょう。