聖 書:マタイ10:37~38

(37) わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。(38) また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

 父は神学校を卒業してからハンセン病者の施設である愛養園(エヤンウォン)で奉仕しました。その間、神社参拝の反対運動を扇動したと言う理由で投獄され、その後、終身刑が下されました。父がいない間の生活は言葉では言い表せないほどの苦労でしたが、もっと大変なことが起こりました。ある日、長兄宛に徴兵の為の身体検査の通知書が届いたことです。軍隊に行くことはともあれ、軍隊に行くと毎朝、東方遙拝と神社参拝をしなければなりません。そのことで、家族は断食の祈りを始めました。最後に下した結論は全家族がバラバラに別れて暮らすことでした。私と弟は孤児院で過ごすようになりました。孤児院でしばらく生活している時、韓国は解放を迎えました。父も監獄から出所しました。私の家族は本当に久しぶりに幸せの時間を過ごせるようになって、私は学校も行けるようになりました。とっても嬉しくて、私の生涯において、最も幸せな時間でした。しかし、その幸せの時間もわずか‥‥。
 その当時、韓国は民主主義勢力と共産主義勢力が先鋭な対立をしていました。そんなある日、私が暮らしていた地域で共産主義者が暴動を起こして、僅か一週間に3,500人あまりの一般市民が虐殺される事件が起こりました〔麗水(ヨス)順天(シュンチョン)反乱事件〕 。その犠牲者の中に私の愛する二人のお兄さんもいました。私はその事実を受け入れる事が出来ませんでした。神様に反抗しました。「愛の神様がどうしてこんな酷いことをなさるのか?神様が生きているなら、このような事はあり得ない。」天に向かってどれほど、つぶやいたのか分かりません。なぜ、私の家族にこんなに大変な試練を与えられるのか?このような神から離れたくなるほど、胸が引き裂かれる思いでした。
 ところで、もっとびっくり仰天したことは、二人の兄を殺して死刑を待っているその人を父が赦すことでした。赦すだけではなくて、養子にした事でした。その日、どれほど父に反対して、逆らったか分かりません。「赦すことはともあれ、どうして、養子にするのか?」と歯向かいました。「どうしてそこまで神に従わなければなりませんか?そこまでしなければイエス様を信じることではありませんか?」父の答えは明確でした。「十戒の1,2の戒めを守りなさいと命じられた神は、敵を愛しなさいとも命じられた。敵を愛しなさい、と言う戒めはただの赦しはもちろんのことであって、養子にする事こそ敵を愛することなのだ。」徹底して神のみことばに従う生涯だった父なので、私は父の決心に従わざるを得ませんでした。そのような信仰の父だったので、韓国戦争が勃発した時、共産党の手によって殉教しました。愛養園での働きをしばらく休んで、避難すれば死を免れたのに父はハンセン病の信者である神の子羊たちを見捨てるわけにはいきませんでした。
 私は家族が受けたあの大きな苦難が終わって、静かに過去を振りかえってみました。神様はどうして、こんなに私の家族に耐え難い試練を与えてくださったのか?私の結論は、神様は時代ごとに信仰の見本をお立てになると言うことでした。その信仰の見本を通して、一つの種を蒔いて、その種が育って大きな実を結ばせることでした。その種は今も韓国の教会に大きな実を結ばせています。その為に特別に備えられた家庭が私の家族だったと思います。今、振り返ってみると神様の驚くべき深い愛と摂理のほかありません。