聖 書:エペソ人への手紙6章5節~9節

(5) 僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。
(6) 人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、
(7) 人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。
(8) あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。
(9) 主人たる者よ。僕たちに対して、同様にしなさい。おどすことを、してはならない。あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとの主は天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらないのである。

パウロの平日の仕事は天幕造りでした(使徒行伝18:3)。パウロは弟子と一緒に平日は天幕を造り、聖日は福音を伝え、人々を癒し、神の御国を伝えました。パウロと弟子達は同じ職場の人でありながら、同じ教会の教会員でもありました。職場が教会でした。初代教会の中には主人も僕も混ざっているところでした。昼は主人と僕の関係、夜の聖餐式では主にあって同じ兄弟でした。
1.僕への戒め
(1)従いなさい、仕えなさい
 妻は夫に、子どもは親に「従いなさい、敬いなさい」でしたが、僕は主人に「従いなさい、仕えなさい」です。しかも、「キリストに従うように、恐れおののきつつ、主に仕えるように、快く仕えなさい」です。会社の現実を考えると非常に難しい戒めです。「信者はキリストに、妻は夫に、子どもは親に、僕は主人に従いなさい」。全部同じ原則です。神から与えられた権威を持っている人に従いなさいです。権威に従うのが愛の具体的な表現、積極的な表現です。それに対して夫は妻に、親は子どもに、上司は部下に積極的な責任を取るのが愛の表現です。
(2)キリストの僕として
 私達はキリストの僕としてのアイデンティティーを持って働かなければなりません。私達は職場に属していながら同時にキリストに属しています。キリストの僕として働くことは結局信仰の問題です。夫婦関係、親子関係と同じく上司と部下の関係も結局信仰の問題です。職場は収入を得られるところです。しかし、これは消極的な意味です。職場は信仰を訓練するところです。これは積極的な意味です。教会で学んだ愛を練習するところが職場です。
2.主人(上司)への戒め
(1)おどすことをしてはならない
 主人への戒めは一つだけです。「おどすことをしてはならない」。上に立っている人は一つだけは注意しなければなりません。それは神から与えられている権限を乱用してはいけないことです。神からの権威を乱用すると、それに相当する報いを天にいらっしゃる真の主人から受けます。いくら部下でも神の形に造られた人格を持っているので、おどすことをしてはいけません。
(2)あなたの主は天にいます
 権威を乱用してはいけない理由は神様がいらっしゃるからです。社長も神様の御前では一人の社員です。いくら出世して偉くなっても社長の上には天の会長である神様がいらっしゃいます。
3.教会と職場の一致
 私達にとって教会は霊的な土台です。職場は生活の土台です。二つとも大事ですが、二つを別々に考えてはいけません。二分割してしまうと私達は形だけの信者になります。弱い私達ですが、毎週教会で頂いた恵みを職場で、家庭で現そうと努力はしています。私達は生活の現場で信仰が試されます。ですから、私達一人一人が生活の中で神様からの知恵を頂いて守られますように祈りましょう。生活の現場で神の諭しを悟る時が多いです。皆様も仕事中悟ることが多く、生き生きとした証しが沢山あると思います。職場で信仰が訓練されますが、訓練だから失敗が多くても構いません。訓練だから成功するよりは失敗する日が多いですが、それでも神様が知恵を与えて下さり、助けて下さいますので、良き働き人として用いられましょう。