聖 書:ヘブル人への手紙4章14~16節

(14) さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。
(15) この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
(16) だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。

 神様の祝福と助けの中で第45回メサイア公演が無事に終わりました。昨日のメサイア公演に行かれた方、行かれなかった方、共に今日の聖書箇所を通して神様からの慰めと励しを頂きましょう。イエス様は私達の弱さを思いやることのできるお方です。なぜなら私達と全く同じ肉体を持って33年間過ごされたからです。ですから私達を憐れまれるお方です。それでは具体的に私達のどのような弱さを経験されたかを見てみましょう。
Ⅰ.最も寂しく、孤独になられた御方
 イエス様は生まれてから十字架で死なれるまで寂しさがありました。例えば人々からの受け入れられず、イスカリオテユダの裏切り、弟子たちのゲッセマネの園での居眠り、尋問される時ペテロの否定、弟子たちの逃亡、それに十字架で父なる神からも捨てられる時間がありました。
 1.寂しさが罪と一つになるとどうなりますか=寂しさをなだめるためにこの世のものを求めます。何かに執着しないと心が寂しくて、苦しくて、重くて、耐えられないです。ですから仕事、趣味、勉強などに執着します。何かに執着しないと孤独で気がおかしくなりそうだからです。
 2.寂しさがイエス様の愛と一つになるとどうなりますか=イエス様は人々に受け入れてもらえない寂しい生活の中で、いつも父なる神との深い交わりをされました。その寂しさが何であるか良くご存知だったので、社会から無視されている人々のところを尋ね、彼らに福音を伝え、愛を注がれました。人々を愛し、仕える生活をすると寂しさは半減されます。
Ⅱ.最も暴力を受けられた御方
 イエス様が受けた暴力には色々の種類があります。政治・宗教指導者の権力による暴力、言葉の暴力、差別、肉体暴力などがありました。
 1.暴力が罪と一つになるとどうなりますか=人間は悪いことはすぐ学びます。暴力は世襲されるケースが多いです。子どもは無意識の中で学びます。
 2.暴力がイエス様の愛と一つになるとどうなりますか=過去の傷がイエス様の愛によって治ります。そしてその傷跡から愛が溢れてきます。暴力におびえている人々を救い出し、他の人の傷を癒す人になります。
Ⅲ.最も貧しかった御方
 イエス様は生まれたとき家ではなく、馬小屋で生まれ飼葉おけの中に寝かされました。イエス様はまくらするところすらありませんでした。残した財産は0円です。唯一残した血まみれの服がありましたが、その汚い服でさえローマ兵士が分け合って持って行きました。この世の中に貧しい人多いですが、イエス様ほど貧しい人はいません。裸で地上生活を終えられました。
 1.貧しさが罪と一つになるとどうなりますか=貧しさが罪と一つになると人間はお金の前で卑屈になります。お金にあまりにも執着して、お金の奴隷になります。心の余裕もなくなります。お金自体は大事なものですが、だからと言って全ての価値観、思考がお金中心に決め、判断すると間違ってしまいます。
 2.貧しさがイエス様の愛と一つになるとどうなりますか=Ⅱコリント8:2「極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となります」Ⅱコリント8:9「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。」イエス様はこれほど私達と同じくなられ、あらゆる試練に会われました。ですから私達の弱さを思いやることが出来ます。
 ですからイエス様に励まされ、主が満たして下さることを信じて、主の御前に祈りを持って行きましょう。