聖  書:マタイ18章1~6節
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
18:2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
18:4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
18:5 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
18:6 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

過日、ワールド・ビジョンの「ケニアとタンザニアの支援地報告会」に参加しました。その中でかつてチャイルド・スポンサーシップの支援を受けていた青年(現在京都大学生)の「ケニアにはバオバブと呼ばれる大きな木があります。バオバブの種はとても小さいですが、木はとても大きく育ちます。皆さまのご支援はバオバブの種を蒔くような意味があります。皆さまが蒔いてくださった種が、いつの日か大きく成長するのです」の言葉に感激しました。
本日は「幼児児童祝福礼拝」です。「幼な子のような信仰」について聖書に耳を傾けたいと願います。

Ⅰ.心をいれかえて幼な子のようになる信仰(18:3)
弟子たちがイエスに「天国ではだれがいちばん偉いのですか」と尋ねた時。イエスは「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできない」と言われました。弟子たちは(天国における身分や立場)に関心がありましたが、イエスは(天国にはいること)に関心を示されたのです。人は嬰児として生まれます。これは肉体の誕生です。イエスは「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)と言われました。「新しく生れる」とは霊的誕生を表しています。イエスは「水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。と言われました。「水」とは悔い改め、「霊」とは御霊を表しています。(幼な子)には豊かな生命力がみなぎり、大きく成長して行きます。私たちも心をいれかえて霊的誕生を経験し、(幼な子のように)いのちみなぎる信仰者として日々歩みたいものです。

Ⅱ.幼な子のように自分を低くする信仰 (18:4)
イエスは「この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである」と言われました。ある時、ゼベダイの子らの母が「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」(マタイ20:20-21)と願いました。この世の栄誉を願う彼らに対してイエスは「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない」(同26-27)と諭されました。人は生来、傲慢の奴隷です。天使の堕落(イザヤ14:12-15)、アダム・エバの堕落(創世記3:5)、人間の堕落(?ペテロ
5:5)の原因は傲慢であると教えています。聖書は「へりくだった心をもって互に人を自分よりもすぐれた者としなさい」(ピリピ2:3)、「みな互に謙遜を身につけなさい」(?ペテロ5:5)」と教えています。

Ⅲ.幼な子を受けいれる信仰 (18:5~6)
イエスは「このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」と言われました。「受けいれる」とは「愛する」ことの基本です。「愛する」とは、その人のすべてを受けいれることです。これは私たちにとって非常に厳しい挑戦です。それを可能にするのは「わたしの名のゆえ」という条件です。イエスは「これらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる」と指摘しています。ここでは「幼な子」から「小さい者」に表現が変わっています。イエスのメッセージは「幼な子〉に代表される「小さい者」に向けられていたことが理解されます。「小さい者」とは直接には〈信仰をもって日の浅い人〉(ロマ14:1、?コリ8:11)を指しますが、〈肉体的、精神的、社会的における弱者〉をも指していると思われます。イエスは「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)と言われました。

現在の世界では、約79,500万人(9人に1人)が飢餓状態にあります。その中で5才になる前に命を落とす子どもの半数近く(45%)は栄養不足が原因です。その数は毎年310万人にのぼります。幼な子のように霊的生命に与り、幼な子のように謙遜な者となり、イエスのように幼な子を受けいれる者となりたいと願います。