聖 書:イザヤ7章10~17節
7:10 主は再びアハズに告げて言われた、
7:11 「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ」。
7:12 しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。
7:13 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
7:14 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
7:15 その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。
7:16 それはこの子が悪を捨て、善を選ぶことを知る前に、あなたが恐れているふたりの王の地は捨てられるからである。
7:17 主はエフライムがユダから分れた時からこのかた、臨んだことのないような日をあなたと、あなたの民と、あなたの父の家とに臨ませられる。それはアッスリヤの王である」。

アドベント(待降節)第二聖日を迎えた。12月となりクリスマスを間近に感じる。イザヤ書はメシア預言の中心と言っても良いが、7章14節、8章8節にインマヌエル預言が出てくる。イムとは「共に」ヌウは「私たち」エルは「神」であるので、マタイ1章23説に引用された「神われらと共にいます」の通りである。

Ⅰ.アハズの時代
イザヤ書7章の背景は紀元前735年頃に、南王国ユダに北王国イスラエルとさらに北のスリヤの連合軍が攻めてきた。イスラエルとシリヤは同盟を結んでアッシリヤに対抗しようとし、ユダにも呼びかけていた。ユダはこの申し出を断っていた。南王国ユダはダビデの直系で首都はエルサレムだったが、ユダ族とベニヤミン族の2部族、国土は四国ほどの小さな国だった。大きな10部族から成る北王国イスラエルが好戦的なスリヤと共に攻めてくることは脅威であった。神様にある同族が攻めてくるというのは悲劇である。7章2節には王や民が恐れおののいた姿が出てくる。神様は南王国ユダを見捨てられなかった。7章4節にあるように励まされた。神様はユダが勝利するという約束を確かに語られた。

Ⅱ.アハズへの激励
この世の尺度で見るならば弱小の南王国ユダだが、神様はこの国を守るとおっしゃられている。アハズ王は神様の恵みに感謝し、さらに深い信仰を持ったのかというと、残念ながらそうではなかった。神様はアハズの不信仰な心をご存知であったから11節に大いなるしるしを求めよと言われた。12節にアハズは、しるしは求めない、主を試みることはしないと答えた。これは一見とても信仰深い答えのように聞こえるが、神様に素直に求めなさいと言われたなら求めるべきである。実はアハズは自分の考えや思いで行動したかった。神様の申し出を断って、エジプトと同盟を結ぼうとするなど自分の信じた道を歩もうとした。このことは神様を煩わせる、神様の御心を痛めさせる愚かな行動であった。

Ⅲ.私たちへの究極の励まし
アハズが神様に従わなかったのは不信仰であり、引いては指導者としての資質にも欠けていた。神様は御心に従わないアハズを退けられたのだろうか。もっと大きな恵みをもって応えられた。しるしを求めなかったアハズに神様はご自分からしるしを与えると告げられた。おとめがみごもって男の子を産む、その子の名前はインマヌエルと呼ばれるという。やがて紀元前701年、王はアハズの子ヒゼキヤの代に、エルサレムはアッシリヤのセナケリブの大軍に囲まれる(イザヤ37章、列王下18章以下、歴代下32章)。主の使いが18万5千人のアッシリヤの軍勢を滅ぼした。神我らと共にいますという約束がどれ程力強く、大きなものであるかを知ることができる。

イザヤの時代にインマヌエルは約束であった。今私たちはイエス様がインマヌエルなる神様であって、この方を事実として受け止めることができる。神様が私と共におられ、大いなる力を持って働かれていることをこのクリスマス新しく受け止めよう。