聖 書:ヨハネによる福音書 第1章29節
1:29 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

本日、アドベント・待降節を迎えた。前回からメサイアの聖書箇所を取り上げている。第二回はメサイア第二部の最初に当たる第22番、先ほど歌われた「世の罪をば除き給う」から語る。中田羽後師はヨハネ1:9より「世のつみをばのぞきたもう かみのこひつじ あおぎみよ」と作詞された。第二部は救世主の受難から始まる。イエス様が世の罪の燔祭としてささげられた小羊であることが最初に出てくる。聖書を通してささげられた小羊を見よう。

Ⅰ.過越しの小羊(出エジプト12章)
出エジプトの最後の災いが下った。エジプトの民はパロから奴隷、家畜に至るまで初子が撃たれるという大きな悲劇が起こった。イスラエルの家はかもいと入口に塗られた小羊の血によって過ぎ越された。一匹の小羊は一家族の守りのためにささげられた。

Ⅱ. 罪祭の小羊(出エジプト29:38~42)
律法の定めが記されている。イスラエル民族のために毎日朝、夕一頭ずつの小羊が罪祭のささげものとされた。これらの小羊は一民族全体の罪の赦しのささげものとなった。

Ⅲ.受難の小羊(イザヤ53:7、エレミヤ11:19)
苦難の僕を指し示したイザヤ53章は、イエス様の受難を700年も前に明瞭に示している。読むたびに心響く聖書箇所である。「ほふり場にひかれて行く小羊」はイエス様の十字架の御姿そのものである。全人類の罪の贖いとしてささげられる、完全な犠牲が指し示された。

Ⅳ.世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネ1:29)
イエス様の出現前、バプテスマのヨハネはヨルダン川で「世の罪を取り除く神の小羊」と叫んだ。旧約の贖いの小羊を越えて、預言の成就である救主が現れる時であった。イエス様は水のバプテスマではなく、聖霊のバプテスマを授ける御方である。水によって外側は潔まるが、内側まで潔くできない。聖霊によって内なるものまでも潔くされる。イエス様は罪の悔い改めだけではなく、神の愛に生かす力をお持ちの方であった。聖霊によって神の愛が注がれる。イスス様は3年半の公生涯の最後に、イザヤ、エレミヤが語った神様の計画通りに、ご自身を十字架にささげられた。

Ⅴ.悪を打ち破る勝利の小羊(ヨハネ黙示録17:14)
小羊のイメージには、清らかさ、優しさ、弱さがあり、イエス様に重なっていく。旧約聖書からイエス様の顕現、十字架へと至る中でほふられた小羊(アムノス)、ささげられた小羊が重きをなす。ヨハネの黙示録はイエス様を小羊(アルニオン)と記す。同じ小羊でありながら違う姿と言って良い。イエス様が再び来られ、悪を打ち砕き、全てを完成へと導く圧倒的な力を持たれた。やがて終わりの時、勝利、栄光、誉を持つ小羊イエス様を仰ぎ望む。

私たちは迷い、倒れる、弱い羊である。その羊とイエス様はご自分を一つにされた。愛と慈しみ、あわれみであった。小羊である主は、完全な勝利と栄光へと私たちを導いてくださる。私たちには勝利と栄光が待っている。英語のエンドは終わりであり、目的・目当てという意味も持つ。私たちの究極の目的は、天上の小羊の婚宴への招きである。