聖 書:ゼパニヤ書 第3章14節~20節
3:14 シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。
3:15 主はあなたを訴える者を取り去り、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はあなたのうちにいます。あなたはもはや災を恐れることはない。
3:16 その日、人々はエルサレムに向かって言う、「シオンよ、恐れるな。あなたの手を弱々しくたれるな。
3:17 あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。
3:18 「わたしはあなたから悩みを取り去る。あなたは恥を受けることはない。
3:19 見よ、その時あなたをしえたげる者をわたしはことごとく処分し、足なえを救い、追いやられた者を集め、彼らの恥を誉にかえ、全地にほめられるようにする。
3:20 その時、わたしはあなたがたを連れかえる。わたしがあなたがたを集めるとき、わたしがあなたがたの目の前に、あなたがたの幸福を回復するとき、地のすべての民の中で、あなたがたに名を得させ、誉を得させる」と主は言われる。
4月新年度を迎えて、2018年度の教団標語は「キリストの愛に応えて ビジョン2021・6年目」であり、2018年度の教団聖句・旧約聖書(ゼパニヤ3:17)から語る。
Ⅰ.ゼパニヤの背景
人にはそれぞれ負うべきものがあるが、ゼパニヤの背景から見ていこう。ゼパニヤの4代前はヒゼキヤである(1:1)。ヒゼキヤは南王国ユダの王として、神様に拠り頼み、宗教改革を行い、アッシリヤと戦い立派な事績を残した。ヒゼキヤには長い記述がある(列王下18-20章、歴代下29-32章、イザヤ36-39章)。ゼパニヤは王の一統の生まれであった。ゼパニヤは預言者エレミヤとヨシヤ王と同世代である。ヨシヤは神様に従って偶像を廃し良い治世を行ったが、その後のイスラエル滅亡、バビロン捕囚への流れは止められなかった。ゼパニヤ書は長くはないが、預言書として大切な内容が含まれている。1章は神様の審判、2章から3章8節までは悔い改めへの勧め、3章9節から最後は救いと回復の約束である。メシア預言と主の日・終末を指し示しており、短くとも壮大な内容である。
Ⅱ.神様の救いの約束
神様は、現在は悪を見逃されているかのように思われるが、決して野放しにはされない。やがて、裁きと実力行使を下される。その日には悪を行う者には恐れしかないが、神様に従い忍耐した者には救いと解放の日が来る。主の大いなる日(1:14)がその日に当たる。主の日は究極にはイエス様の再臨、最後の審判、新天新地に至る救いの完成を指すが、2千年前のイエス様の初臨から始まっている。完成・完結を目指しつつ、今は途上にありながらも究極の救いの一部と出会い、味わい、見知っている。中心となる聖句3:17に4つの救いの約束がある。①臨在「うちにいまし」コロサイ1:27、②勝利「勝利を与えられる」ローマ8:37、③喜び「喜び楽しみ」、④テサロニケ3:9、⑤新生「愛によってあなたを新にし」エペソ4:22-24。
Ⅲ.神様による回復
ゼパニヤは最後に至って回復の恵みを語る。悩み、恥やしえたげからの名誉の回復、散らされていても一つに集められるという回復である。これはゼパニヤの後にイスラエルが滅亡し、バビロンで奴隷とされていく恥を、やがてはすすいで下さる。私たちも信仰者であるがゆえに受ける悩み、苦しみ、戦いがある(Ⅰペテロ4:12~14)。この世の悩み、苦しみからの回復、私たちの受け継ぐ御国を受けるのは永遠の約束の内にある。
ゼパニヤの預言は分量的には多くなく、他の預言書よりも目に留められづらいだろう。今回何回も読み直しながら、ゼパニヤは質実剛健、真直ぐな預言者であり、力強い神様のメッセージであると再認識した。私たちも終わりの日が近いこの時こそ、日々新たにされ、主に堅く立って励もう(Ⅱペテロ3:14~15)。