聖 書:ヨハネの第一の手紙 第3章13節~24節
3:13 兄弟たちよ。世があなたがたを憎んでも、驚くには及ばない。
3:14 わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている。
3:15 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。
3:16 主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。
3:17 世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。
3:18 子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。
3:19 それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。
3:20 なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。
3:21 愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。
3:22 そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行っているからである。
3:23 その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。
3:24 神の戒めを守る人は、神におり、神もまたその人にいます。そして、神がわたしたちのうちにいますことは、神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである。

今朝は続いて、本年度教団聖句・新約聖書(Ⅰヨハネ3:16)から語る。ロバート・ローは本書の注解に「人生の試金石」という題を付けた(1885年)。3つの試金石、判断基準が挙げられている。教理的な試金石としてキリストの受肉(4:2、イエス・キリストが肉体をとって)、倫理的な試金石として神様の命に従っているか(2:3、彼の戒めを守る)、社会的な試金石としてキリスト者の愛(3:14、兄弟を愛している)であるという。

Ⅰ.キリスト者の愛-この世に憎まれる
ヨハネ第一の手紙は愛の手紙である。Cf.青木澄十郎師の本書の講解書の話は有名である。ヨハネは愛に富んだ人であったのか。イエス様は弟子のヤコブとヨハネ兄弟にボアネルゲ・雷の子という名を付けられた(マルコ3:17)。ヨハネは神様によって根本から変えられていった。この手紙を読んでも、ヨハネの慈しみ、優しさ、愛を見る。信仰者が、互いに愛し合うことがヨハネの中心メッセージである。しかし、教会外からは信者への憎しみ(13節)がある。イエス様も「またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれる」(マタイ10:22、他)と言われた。特に終末に起こる迫害として語られた。これからの時代に当然起こってくる、恐れることなく主を仰ぎ、主の助けを求めていこう。

Ⅱ.キリスト者のつながり-愛を表す
改めてヨハネはイエス様の十字架に話の焦点を移す(16節、主はわたしたちのためにいのちを捨てて下さった)。イエス様の十字架は神様の愛の最大、最高の表れであった。イエス様が私たちのために命を捨てて愛を表されたように私たちもそうすべきであると言う。昨年度、ヨハネ福音書でも語ったがヨハネ15:12~13と同じ内容をヨハネは本書で記す。私たちは人のために命を捨てることができるだろうか。ヨハネ15章ではブドウの木のたとえ話の文脈から語られている。イエス様とつながり、イエス様の命に生かされて、神様の実を結ぶ者となっていることが前提にある。その上で互いに愛し合い、友のために命を捨てることさえできる。先ず、神様に喜ばれ実を結ぶイエス様につながっている枝であることが大切である。

Ⅲ.キリスト者の実践-心安んじる
兄弟のために命を捨てるとは、神様の愛を実践していくことである。言葉や口先だけではなく、行いと真実をもって愛することである。人のために生きようとすることは難しい。自分に必要なもの、守るべきものをしっかり確かめておくことは大切である。人のことのために自分を失ってしまうことになる。どんなに愛の業を行っても、不十分だと心責められる思いがする。私たちはイエス様の十字架の姿のように注ぎ尽くし、与え尽くすことはできないので、本当によかったのかと反問しやすい。精一杯人に福音を伝え、愛を表し、心安んじていよう。

ヨハネは12使徒で最も長命であった。他の使徒たちは殉教しても、最後まで長らえ迫害の時代を生き抜くことにあった。命を注ぎ出すことは、ある人は短く、ある人は長く、それぞれの使命を導かれつつ全うしていこう。