聖 書:マタイ3:16~4:11

(16)イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
(17)また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

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(1)さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。
(2)そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
(3)すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
(4)イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
(5)それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて
(6)言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。
(7)イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
(8)次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
(9)言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
(10)するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
(11)そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。

 

 

本年も早6月を迎えた。本年の主題の聖書箇所を開いていく。-継承と発展-を最も大きな標語に掲げている。「継承」を主題としてB・F・バックストンの「赤山講話」の収録説教から同じテキストで月1回ずつ語る。無知な私にとって大きなチャレンジである。解説ではなく、時を超えて、今の私たちに語られる神の使信として受け止めたい。「発展」を主題として、初代教会の発展と前進を使徒行伝から見ていく。使徒行伝の連続講解は教会暦、特別行事があるので多くて月3回となる。

Ⅰ.信仰の系譜
私たちの教団の信仰の系譜をどこまでたどれるかは難しいが、B・F・バックストン(1860-1946。1890年英聖公会独立宣教師として初来日。1891年松江伝道開始。1903年英日本伝道隊設立。未伝地への伝道、霊的リーダー養成、聖会等の働きを数度の来日で進める。1907年神戸聖書学校。1924年御影聖書学舎。1937年最後の来日。)と彼を支えたP・ウイルクスを語ることはできる。バックストンの生涯は四男ゴッドフレーの筆による「信仰の報酬」、都田恒太郎の「バックストンとその弟子たち」から知ることができる。バックストンの霊的な遺産は刊行中のバックストン著作集を読まれたい。

Ⅱ.光に歩む
有名な荒野の試誘と呼ばれる箇所が「赤山講話」の第一篇となる。バックストンはここで悪魔の力、働き、誘惑を強く語っている。聖書に悪魔は出てくるが、私たちは中途半端な気持ちで捉えるべきではない。バックストンが神様の偉大な力、栄光の輝きを知っているからこそ、悪魔の密やかな力、やみの深さを知り得ていた。彼が神様によって勝利していたからこそ、悪魔はおおよそ無力であった。私たちの絶対的な基本線は神様の光の内を歩むことにある(Ⅰヨハネ1:5-10)。イエス様の十字架の血潮によって罪のきよめをいただくことは、やみから光に移されることである。光に与る神の民とされた私たちはこの世の欲からも遠ざかることが示されている(Ⅰペテロ2:9-12)。光にあることは、罪、欲、悪の力から遠ざかっている必要がある。

Ⅲ.誘惑に打ち勝つ
イエス様は悪魔から3つの試みを受けられた。バックストンも主は霊の力を受け、任職の油を受け、聖霊に満たされていたと言う。1番目の誘惑は霊の力を自分のために使い、神様から離れてしまうことにある。2番目の誘惑は人々から感嘆され栄誉を求めることにある。3番目の誘惑は十字架を負わない安楽な道を選ぶことにあると言う。勝利は些細なことで退かず、神様に祈って、十字架を負うことにある。バックストンはイエス様が隠れた所で勝利された故に、表に出た時に勝利されたと言う。見えない場所での悪魔への勝利は、見える場所での勝利につながる。

最後に漁師と魚の例話が出てくる。一本釣りの餌に魚が食いつくと漁師は釣り糸を緩める。時間をかけて弱ったところで一気に釣り上げる。悪魔と私たちもそうであり、悪魔は小さな誘惑を私たちに与え、食いつけば泳がせもする。やがて悪魔に釣り上げられる。隠れた所の勝利が目に見える力となっていく。