聖 書:Ⅰテサロニケ3:5~13

(5)そこで、わたしはこれ以上耐えられなくなって、もしや「試みる者」があなたがたを試み、そのためにわたしたちの労苦がむだになりはしないかと気づかって、あなたがたの信仰を知るために、彼をつかわしたのである。
(6)ところが今テモテが、あなたがたの所からわたしたちのもとに帰ってきて、あなたがたの信仰と愛とについて知らせ、また、あなたがたがいつもわたしたちのことを覚え、わたしたちがあなたがたに会いたく思っていると同じように、わたしたちにしきりに会いたがっているという吉報をもたらした。
(7)兄弟たちよ。それによって、わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。
(8)なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである。
(9)ほんとうに、わたしたちの神のみまえで、あなたがたのことで喜ぶ大きな喜びのために、どんな感謝を神にささげたらよいだろうか。
(10)わたしたちは、あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っているのである。
(11)どうか、わたしたちの父なる神ご自身と、わたしたちの主イエスとが、あなたがたのところへ行く道を、わたしたちに開いて下さるように。
(12)どうか、主が、あなたがた相互の愛とすべての人に対する愛とを、わたしたちがあなたがたを愛する愛と同じように、増し加えて豊かにして下さるように。
(13)そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。

昨日からキャラバン伝道が行われ、白河栄光教会、待望教会を訪問している。白河栄光教会は戦後スエ―デンホーリネスミッションの本部が置かれ、棚倉・黒磯・大田原の教会を生み出した。森山諭師の働きは会津で続けられていたが、待望教会としては1941年12月30日が設立となる。厳しい状況にある東北教区の励ましとなれるように祈っている。今朝は、教会や信仰者は互いの交わり、関わりによって生まれ、関わりの中で存在することを語る。

Ⅰ.心配から感謝へ変えられる(9節)
パウロの第二回伝道旅行によって、マケドニアのテサロニケに教会は生まれた(使徒17:1-9)。パウロは3回の安息日でイエス様を語った。わずかな期間にまかれた種がテサロニケ教会となる。ここでもユダヤ人の扇動で暴動が起こり、パウロは短期間で去らなければならなくなった。パウロはこの群れを心にかけていた。母がその子を育てるように(2:7)、父がその子に勧め、励まし、さとした(2:11-12)。2通の手紙からパウロの牧会者としての姿を見る。パウロは「試みる者」(5節)であるサタンによってテサロニケの群れが信仰を失っていないかという恐れを持っていた。テモテを遣わしてまで状態を知ろうとした。テモテの報告はパウロの心配が杞憂に終わったこと以上に、パウロに大きな喜びと感謝を与えた。

Ⅱ.信仰と愛は変わらない(6節)
パウロはテサロニケの信徒の信仰を喜んでいた(1:3、8)。この手紙でパウロは自分たちが伝えた「神の言」を、テサロニケの人々が文字通り受け止めたことを感謝している(2:13)。パウロはローマ人への手紙で信仰はキリストの言葉を聞くことによると言う(ローマ10:17)。聞くことは容易なことと思われやすいが、どれだけ深く聞くことができるかが大切である。神の言はあなたがたのうちに働いている(2:13)と言われるほど、テサロニケの信徒は生きた力ある言として神の言を受け止めたことが信仰の基礎となった。この信仰を変わらず持ち続け、パウロを覚え彼に会いたいという愛を持ち続けており(6節)、大きな喜びとなる(9節)。

Ⅲ.喜びと希望へ変えられていく(11-13節)
テサロニケ教会が誕生間もない中で患難を受け、揺り動かされていないかとパウロは心配していた。パウロはテサロニケ教会の変わらない信仰と愛を知って心から喜ぶ。12節でパウロは相互の愛とすべての人に対する愛の2つを語る。教会内の信徒同士の愛と、教会を越えて外に向かう愛である。使徒ヨハネは互いに愛し合うことを語り続けた(Ⅰヨハネ4:12)。教会には背景、考え方が異なる老若男女が集まっている。テサロニケ教会には信徒同士の愛が息づいてた。外に向かっても神様の愛をいただいて、患難があっても宣教を続ける群れであった。今は自分さえ良ければと互いの愛が薄れていく時代である。教会の内に神様の愛が満ち、教会が外に向かって愛を表せられるようになろう。

テサロニケ人への手紙はパウロの書簡では初期のものであるが、ここには終末が強調されている。主が再び来られる日に潔い者として、良き戦いを戦い抜いた者として主の御前に出られる者でありたい。