聖 書:ヨハネ黙示録17章1節~6節     

(1)それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。(2) 地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。(3) 御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。(4) この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、(5) その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。(6) わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。

 サタン軍団は龍(サタン)、獣(反キリスト)、ほかの獣(偽預言者)、それに大淫婦と呼ばれるバビロンによって構成されています。17章では大淫婦に対するさばきが記されています。すでに16章の第七の御使の災害において、「神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた」(16:19)のです。イスラエル民族はバビロンに壊滅されましたので、彼らにとってバビロンは最大の敵でした。神は終末の時代において、その時代の悪の元凶に対して「大いなるバビロン」以上に最後的な審判を下そうとしておられるのです。
 
Ⅰ.大淫婦バビロン(1~2)
 ヨハネは「七つの鉢を持つ七人の御使のひとり」(1)がきて、「さあ、きなさい。
多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう」(1)という声を聞きました。ですからバビロン滅亡(大淫婦に対するさばき)の預言は、七つの金の鉢の審判を発展させた内容になっていると理解すべきでしょう。
 淫婦とは何を意味しているのでしょうか。5節に「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」とあるように、淫婦とはバビロンによって生み出されたもの、バビロンとは淫婦の母、淫婦を生み出した力、淫婦を従わせる大いなる権力を意味しています。この淫婦は「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である」(15)とあるように、淫婦は民衆の上にあぐらをかいているのです。不幸なことに地の人々はこの淫婦の実像を知らず、姦淫を行い、美味しいぶどう酒に酔いしれています。
Ⅱ.大淫婦の正体 (3~4)
 次に御使はヨハネを荒野に連れて行き、淫婦の実像を見せたのです。この荒野でヨハネは赤い獣に乗っている一人の女に出会いました。この女は前後関係からして淫婦であることは確かです。「赤い龍」は12章3節に出てきますが、赤い獣については記されていません。ただ「龍」にも「獣」にも「七つの頭と十の角」(12:3,13:1,17:3)があったので同類であることは確かです。「その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ」(3)、「この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち」
(4)とあります。つまり絢爛豪華な装いで身をごまかしていたのです。
 人間だれしも自己の真実の姿を見ることは非常に難しいものです。お互いの生活水準というものはいつしか豪奢に慣れやすいのです。そうしているうちに知らず知らずのうちに自分の行きたい方向とは異なったところに向かってしまうのです。そこで「荒野」に出かける事が必要になってくるのではないでしょうか。

Ⅲ.心すべき奥義 (5~6)

 この女の額には「それは奥義であって『大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母』」(5)と記されていました。私たちは大淫婦の正体をしっかりと見極めることが大切です。さらにヨハネはこの女が「聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た」(6)のです。終末が近づきますと様々な形で迫害の手が忍び寄ってくることは確かでしょう。大淫婦とは近代化された堕落した世界を表しているとも考えられます。
 終末において大バビロンは小羊に戦いを挑んできますが敗北を喫すると共に、彼ら自身内部分裂して滅亡してしまいます。教会は主の花嫁ですから、小羊との婚姻に備えて身を潔く保つことが肝要です。