聖 書 マタイ21章1~9節  

(1) さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、(2) 「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。(3) もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。(4) こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。(5) すなわち、「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」。(6) 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、(7) ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。(8) 群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。(9) そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。

今日は毎年恒例の講壇交換という事で、今年は私がこの西船橋栄光教会に来させて頂きました。こうやって色んな教会に行かせて頂く事が出来るっていうのは、本当に感謝な事だなあと思っています。日本中に色んな教会、色んなクリスチャンがいる。そして、それぞれいい、それぞれ素晴らしい、それぞれがみんな神様から愛されていて、それぞれみんなイエス様から必要とされているという事を実感する事が出来ます。
さて、今日の聖書の箇所を見ますと、イエス様がロバの子に乗られたという話です。エルサレムにイエス様が改めて入られるのに、ロバの子に乗られたというのです。
でも、なんでロバの子だったんでしょう。馬の方が、良かったんじゃないでしょうか。この時、イエス様は実は「王様として」エルサレムに入られたんです。せっかく王様として来られたんですから、やっぱり馬の方が良かったんじゃないかという気がします。よくお話に出てくる王子様でも白い馬に乗ってます。日本の昔のお殿様でも馬に乗ってます。馬の方が大きいし、強いし、足も速いし、カッコイイ。でもイエス様はロバ、しかも更に小さいロバの子どもにお乗りになられました。 なぜなのでしょう。
当時、馬というのは、戦争のために使う動物でした。戦争の時に乗る乗り物でした。戦争の象徴です。なんでイエス様が馬に乗らなかったかと言うと、イエス様は戦争をするためにエルサレムに来られたわけでは無かったからです。世界の王様として来られたけれども、世界を戦争の力で治めよう、戦争のカで支配しようとは思っておられなかった。そうではなく、世界を愛の力で治めよう、十字架の赦しの力で治めようとされたんですね!だから馬じゃなく、平和とか優しさとか、従順の象徴であるロバに乗られたのです。
「ロバ」は、戦争の役には立ちません。でも、大きな耳でご主人のいう事をよく聞いて、人を運んだり、荷物を運んだり、お手伝いがよく出来ます(5節)。
マタイ21 : 2, 3。「主がお入り用なのです」。私はこの言葉がとても好きです。主が必要として下さっている。「自分は必要とされている」っていう事は人間にとって非常に重要な事ですよね!人間っていうのは、誰かに必要とされていて、初めて生きていけるんじゃないでしようか。
 あなたの存在が要るんだ。いて欲しいんだ。いてくれないと困るんだ。「そうか、私はいていいんだ、必要とされてるんだ」。
逆にこう言われたら悲しいですよね、「お前は必要ない。お前の存在はいらない。お前は役に立たない。ここにいなくていい」とか。でも案外、この世においては、そういう風に言われる事も結構あるかも知れません。また、あなたの個性やあなたらしさを受け入れてくれないかも知れません。
でも、イエス様は絶対にそんな事はおっしゃらない。誰がなんと言おうと、主はあなたをお入り用だ!あなたが必要です!あなたの存在が必要です! またあなたの心が、手も足も口も、全部必要です。存在が必要なだけでなく、あなたは私の役に立ちます。主はお入用なのです、と言って下さるんですね!!!
「こんな者でもいいんでしようか? ロバのような者ですがいいんでしょうか? 馬のように速くも強くもありません。大きな事は出来ません。」世の中っていうのは、優秀な人を求めますね。強い方がいい。仕事も速い方がいい。頭の悪いヤツはダメだ。要領の悪い奴は役に立たない。暗いヤツはダメだ、と。
世の中は馬を求めます。でも、イエス様は、ロバの子でいい、いやロバの子がいい。お前がいい。誇れるような力が無くても、人前に見栄えのするような美しさが無くても、あなたが必要だ。お前のその力で充分わたしの役に立つ、と言って下さるのです。このように言われるイエス様を自分の人生の主として受け入れ、イエス様に用いていただく幸いな人生を送ろうではありませんか。