聖 書 申命記1:26~40

(26) しかし、あなたがたは上って行くことを好まないで、あなたがたの神、主の命令にそむいた。(27) そして天幕でつぶやいて言った。『主はわれわれを憎んでアモリびとの手に渡し、滅ぼそうとしてエジプトの国から導き出されたのだ。(28) われわれはどこへ上って行くのか。兄弟たちは、「その民はわれわれよりも大きくて、背も高い。町々は大きく、その石がきは天に届いている。われわれは、またアナクびとの子孫をその所で見た」と言って、われわれの心をくじいた』。(29) その時、わたしはあなたがたに言った、『彼らをこわがってはならない。また恐れてはならない。(30) 先に立って行かれるあなたがたの神、主はエジプトにおいて、あなたがたの目の前で、すべてのことを行われたように、あなたがたのために戦われるであろう。(31) あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった』。(32) このように言っても、あなたがたはなお、あなたがたの神、主を信じなかった。(33) 主は道々あなたがたの先に立って行き、あなたがたが宿営する場所を捜し、夜は火のうちにあり、昼は雲のうちにあって、あなたがたに行くべき道を示された。(34) 主は、あなたがたの言葉を聞いて怒り、誓って言われた、(35) 『この悪い世代の人々のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもないであろう。(36) ただエフンネの子カレブだけはそれを見ることができるであろう。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えるであろう。彼が全く主に従ったからである』。(37) 主はまた、あなたがたのゆえに、わたしをも怒って言われた、『おまえもまた、そこにはいることができないであろう。(38) おまえに仕えているヌンの子ヨシュアが、そこにはいるであろう。彼を力づけよ。彼はイスラエルにそれを獲させるであろう。(39) またあなたがたが、かすめられるであろうと言ったあなたがたのおさなごたち、およびその日にまだ善悪をわきまえないあなたがたの子供たちが、そこにはいるであろう。わたしはそれを彼らに与える。彼らはそれを所有とするであろう。(40) あなたがたは身をめぐらし、紅海の道によって、荒野に進んで行きなさい』。

今日から申命記を学んでいきたいと思います。『申命記』は、『第二の律法』または『律法の反復』を意味します。出エジプト記、レビ記、民数記において、律法は時々、所々で発布されましたが、彼らのさすらいは終わり、カナン入国を前にしてこれらの律法は、定着生活の見通しと、その適用を年頭におきながらここにまとめて復唱、説明されました。(『聖書ハンドブック』参考)
1.約束と命令(6~8)
 1~5節は全体の序言です。これは、ヨルダンの向こうの荒野で、40年の歴史を回顧し、モーセが「すべての人に告げた言葉」です。主はホレブ(シナイ山)でイスラエルに約束と命令を与えられました。それが8節の言葉です。
2.指導者たちの任命(9~18)
 ここで出エジプト記18:18~に見られる出来事に言及している。なぜ部族の頭、部族のつかさびとが選ばれたのだろうか。それは民の数が増えるとの約束がこの時点でも実現しつつあったからです。選ばれた代表は、『裁きは神の事』(申:17)と言われている通り、この使命が神から与えられている事実を悟り、民も代表者も共に神のみ前に立たなければならない。

3.斥候の報告と不信仰の結果(19~2:1)

 主が命じられたように、カデシュ・バルネア来て、そこで神の命令を聞くが、偵察に言った斥候の言葉に恐れて、彼らは不信仰になった。そればかりか主に対してつぶやいた(26~28)。しかし主は、エジプトにおいて、すべてのことを行われたように、これからもあなたがたのために戦われるであろう。また、荒野にあっては、主が、父が子を抱くようにあなたを抱かれるのを見た。このところに来るまで道すがらいつもそうであった。また主は道々、先頭に立って、宿営する場所を捜し、夜は火のうちに、昼は雲のうちにあって、あなたがたに行くべき道を示されました。過去の恵を思い起こし、主がどんなに真実なお方であるか、恵み深いお方であるかを確認させていただきましょう。しかしそれでも彼らは不信仰を起こしたので、約束の地に入る事はできず、ただカレブとヨシュアだけである。モーセは新しいリーダーのヨシュアを力づけよ。子供たちはそこにはいる。そこを彼らに与える。紅海の道によって、荒野に進んでいきなさいと命じられた。民はそれを聞いて、軽率に山地へ上って行こうとした。主はそれをとどめられたが、民は主の命令に背き、山地に上りアモリ人に打ち破られました。こうして彼らは38年間その地に留まることになってしまいました。
 私たちはすでに十字架によって罪赦され救われたのです。もっともっと主に感謝を捧げ、主を愛していきましょう。主は、私を愛しその戒めを守る者には、恵を施して千代に至ると、言われました。私達は、神の声を正しく聞き、信仰を持って従っていきましょう。毎日、聖書を読み祈る、良い習慣を身につけましょう。祈り、聖書、集会参加、奉仕、献金に励み、聖霊の一致を求めて、聞き従っていきましょう。