聖書:第一ペテロ 1章 13節~21節

13 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。
14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、
15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
17 あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。
18 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、
19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
20 キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。
21 あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。

 最近、脳血管疾患の治療に血栓溶解療法(t-PA・組織プラスミノーゲンアクチベーター)が欧米で開発され、その効果が新聞やテレビなどで紹介されている。ただし、この場合発症して3時間が勝負だと言われている。いずれにしても、私たちの肉体や生命は血液によって保たれていると言っても決して過言ではない。
聖書に「肉の命は血にあるからである」(創世記9:4、レビ17:11)と言われているように、血液は非常に大切なものである。
血液の役目というか、仕事は何かというと、その一は体中の細胞に必要な栄養と酸素を送り届けることであり、その二は体中の老廃物と炭酸ガスとを運びさることである。血液の仕事はそれだけでなく、病気との闘うことと、免疫力を発揮しうることである。こうした意味において血液がどろどろと濁っているか、さらさらと流れているかと言うことは、お互いの健康にとって非常に重要なことなのである。
 さて、聖書は「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」(16)と勧めている。聖なる者とは、サラサラな血液の健康体を意味している。肉体的だけではなく、霊的な意味においても、健康体であるようにと言うわけである。何をもってて健康体であるかと言えば、「あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである」とあるように、キリストの血液によって、我らは健康体になったのである。我らが日々霊的に健康体であるためには、常にキリストの血液に満たされていなければならないのである。
1.キリストの血の本質
1)罪なき血 Ⅰペテロ1:19
2)神の血 使徒行伝20:28
3)契約の血 ヘブル13:20、マタイ26:28
4)不朽の血 Ⅰペテロ1:18 詩篇16:10
5)崇められた血 
2.キリストの血の目的(贖い)
 何のためにキリストの血は流されたのか。それは罪人を贖うためである。
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」(イザヤ43:1)
1)払われた価の大きさは、買われた物の価値を示す。
2)払われた価の大きさは、神の要求の執拗さを示す。
3)払われた価の大きさは、この事業の困難さを示す。
3.キリストの血の効力
1)罪の赦し マタイ26:27~28
2)義とされる ローマ3:24
3)良心のきよめ ヘブル9:14
4)潔く守られる Ⅰヨハネ1:7
5)サタンに立ち向かう力 黙示録12:11
6)主のみ前に出る唯一の功 黙示録7:13~14
 我らはいつもキリストの尊い血潮がさらさらと流れるような健康体を保って行かなくてはならない。そのために日々キリストの尊い血潮を崇め、賛美しつつ、その流れの中に身を浸し続ける者でありたい。そこに勝利の人生が展開される。