聖書 創世記26章12節~33節

12 イサクはその地に種をまいて、その年に百倍の収穫を得た。このように主が彼を祝福されたので、
13 彼は富み、またますます栄えて非常に裕福になり、
14 羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つようになったので、ペリシテびとは彼をねたんだ。
15 またペリシテびとは彼の父アブラハムの時に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸をふさぎ、土で埋めた。
16 アビメレクはイサクに言った、「あなたはわれわれよりも、はるかに強くなられたから、われわれの所を去ってください」。
17 イサクはそこを去り、ゲラルの谷に天幕を張ってその所に住んだ。
18 そしてイサクは父アブラハムの時に人々の掘った水の井戸を再び掘った。アブラハムの死後、ペリシテびとがふさいだからである。イサクは父がつけた名にしたがってそれらに名をつけた。
19 しかしイサクのしもべたちが谷の中を掘って、そこにわき出る水の井戸を見つけたとき、
20 ゲラルの羊飼たちは、「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼たちと争ったので、イサクはその井戸の名をエセクと名づけた。彼らが彼と争ったからである。
21 彼らはまた一つの井戸を掘ったが、これをも争ったので、名をシテナと名づけた。
22 イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。
23 彼はそこからベエルシバに上った。
24 その夜、主は彼に現れて言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。あなたは恐れてはならない。わたしはあなたと共におって、あなたを祝福し、わたしのしもべアブラハムのゆえにあなたの子孫を増すであろう」。
25 それで彼はその所に祭壇を築いて、主の名を呼び、そこに天幕を張った。またイサクのしもべたちはそこに一つの井戸を掘った。
26 時にアビメレクがその友アホザテと、軍勢の長ピコルと共にゲラルからイサクのもとにきたので、
27 イサクは彼らに言った、「あなたがたはわたしを憎んで、あなたがたの中からわたしを追い出されたのに、どうしてわたしの所にこられたのですか」。
28 彼らは言った、「われわれは主があなたと共におられるのを、はっきり見ましたので、いまわれわれの間、すなわちわれわれとあなたとの間に一つの誓いを立てて、あなたと契約を結ぼうと思います。
29 われわれはあなたに害を加えたことはなく、ただ良い事だけをして、安らかに去らせたのですから、あなたはわれわれに悪い事をしてはなりません。まことにあなたは主に祝福されたかたです」。
30 そこでイサクは彼らのためにふるまいを設けた。彼らは飲み食いし、
31 あくる朝、はやく起きて互に誓った。こうしてイサクは彼らを去らせたので、彼らはイサクのもとから穏やかに去った。
32 その日、イサクのしもべたちがきて、自分たちが掘った井戸について彼に告げて言った、「わたしたちは水を見つけました」。
33 イサクはそれをシバと名づけた。これによってその町の名は今日にいたるまでベエルシバといわれている。

 アブラハムの子、イサクの生涯は、父アブラハムや息子のヤコブに比べて穏やかな生涯であったかのように思われがちですが、決して穏やかな生涯ではなく、むしろいろいろあったにもかかわらずイサクは穏やかに過ごしたといえると思います。彼の穏やかさの秘訣はどこにあるのでしょうか。
Ⅰ.忍耐深いイサク ・・・・ねたみを持つ者の言葉に従う
 父アブラハムのとき、飢饉が起こるとエジプトに下りましたが、イサクは主のことばに従ってエジプトに下らず、ゲラルの地に住みました。そこでイサクは種をまき、多くの収穫を得たのです。彼は、百倍の収穫を得たばかりか、羊や牛の群れ、および多くのしもべを持つようになりました。ところが、ペリシテ人たちは、彼をねたみ、父アブラハムの時代に掘った井戸をふさぎました。いかに財産が増えても水がなければ生活できません。イサクにとって井戸を埋められることは、致命的でした。彼は、ペリシテ人と争うことなく、アビメレクに言われたとおりに住んでいた地を出ました。豊かな収穫ができる土地を手放すこと、大勢で移動しなければならないこと、これらの原因は、ペリシテ人のねたみからくるものです。イサクには非難されるところは何一つありません。しかし、彼は、争うことよりも忍耐する道を選びました。
Ⅱ.くじけないイサク ・・・・どんなに井戸を奪われても何度でも井戸を掘る
 ゲラルを出たイサクたちは、ゲラルの谷で天幕を張り、新しい生活を始めます。そして。まず、真っ先にしたことは、井戸掘りでした。谷の中を掘っていくことは、簡単なことではなかったことでしょう。やっとの思いをして湧き出る水の井戸を見つけたとき、大喜びだったと思います。ところが、ゲラルの羊飼いがやってきてその井戸を奪ってしまうのです。井戸は、イサクたちにとって、今どうしても必要なものです。それ以外なら奪われても惜しくなかったことでしょう。しかし、イサクは争うことよりも、井戸を掘り続けることを選びました。また新しく井戸を掘り当てたとき、同じようにその井戸も奪われてしまうのです。しかし、イサクはくじけませんでした。井戸を掘り続けるのです。ある人は、この行動は愚かだというかもしれません。何といくじのない人間だろうと見下すかもしれません。しかし、そういう人々には、本当の忍耐も屈しない精神もわからないのです。
Ⅲ.神から目を離さないイサク ・・・・すべての出来事の中に主を認める
 三度目に井戸を掘ったとき、もう争うことはありませんでした。その井戸をやっと自分のものとすることができました。イサクは、争いが終わってほっとしたでしょうか?自分をねたむ者たちから解放されたと喜んだでしょうか?彼は、「いま、主がわれわれの場所を広げられた」と告白しました。最初の井戸も、二番目の井戸もわれわれの住むべき所ではなかった。今この場所こそ主が、私たちを祝福し、子孫を増し加えてくださる場所だ。この場所から広がっていくのだとイサクは確信しているのです。何が起こっても主から目を離さず、主の求めておられる場所を探し続けました。イサクの行動は、決して逃げているのでも、負けているのでもなかったのです。その一部始終を見ていたアビメレクは、われわれは主があなたと共におられることをはっきりと見たと告白しました。
 主イエス様がいかに周囲から罵倒されようとも神に従い、十字架の道を歩まれました。その姿とイサクの姿は重なります。私たちも主のみ足のあとを従わせていただきましょう