聖書:Ⅰコリント12章 1節~7節

1 兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。
2 あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。
3 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
4 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。
5 務は種々あるが、主は同じである。
6 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
7 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

 使徒パウロはIコリント12:12にて神の教会をキリストの体にたとえている。一つの体には多くの肢体、つまり各部分がある。その中で必要のないものは一つもない。神様はキリストの体である教会を維持させるため、一人一人に聖霊の賜物を与えて下さる。パウロは賜物が多いコリント教会に聖霊の賜物に関する重要な教えを手紙で送った。その教えはいつの時代の教会においても必要な教えだ。もちろん現代の私達にも必要である。今日のみことばには御霊に関して三つの重要なことが書いてある。
1)受ける者-聖霊の賜物はイエス様を信じる人に与えられる神様からのプレゼントだ。「イエスは主である」と言う告白がないと霊の賜物を頂くことは出来ない。
2)賜わるお方-賜物は三位一体の神様から来る(4-6節)。
   霊の賜物は │ │御霊は同じ
   務は │ 種々ある │主は同じ
   働きは │ │神は同じ
3)賜わる理由- 教会全体の益になるために一人一人が賜わっている。
  今日はこの「全体の益になるため」というところを中心に考えてみよう。
Ⅰ.神様のご栄光のため
 賜物は神の栄光のために、他の信徒を助ける為、個人の信仰前進の為に必要である。賜物が自分だけの所有物になると教会に紛争が起こる。
Ⅱ.一人に一つの賜物
  11節の教えのように、「御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである」と書いてある。一人一人に平等に与えて下さる。賜物は人によって違う。賜物は多いのが良いのだが、少ないのも神様の恵かもしれない。ある人は心に愛がないのに賜物が多くなると、その人は賜物の力に耐えられなくなる。愛がないところには賜物が多ければ多いほどトラブルばかりおこす。一つの賜物に一つの奉仕だけでも神様は喜んで下さる。
Ⅲ.一人が全ての益を得る
 クリスチャンの生活は一つの賜物しか持っていないのに100の益を得られる生活である。つまり、私が持っている賜物を使って99人に奉仕する。そして、私が持っていない賜物の恵みを他の信徒99人からもらう。だからいつも100%の生活だ。このような生き方が可能になるためには主にあって互いに謙遜と愛の姿勢を保つことだ。
 私達が神の教会の中で一つの部分として用いられる時、存在価値が現れる。私達が持っている賜物は神の教会の為に使うとき最も輝く。