聖書:サムエル記上7章12節~14節

12 その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その名をエベネゼルと名づけた。
13 こうしてペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ。
14 ペリシテびとがイスラエルから取った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルにかえり、イスラエルはその周囲の地をもペリシテびとの手から取りかえした。またイスラエルとアモリびととの間には平和があった。

 今年は荻窪栄光教会創立50周年を迎える記念すべき年です。1958年4月1日に創立されましたので4月6日の聖日に記念礼拝と記念愛餐会を捧げることにしています。昔は「人生わずか50年」と言ったものですから相当長い年月であることには違いありません。お互い意味のある年にしたいものです。
 本日の中心的な聖句は「その時サムエルは一つの石をとってミヅバとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた」(12)です。この言葉は、積年の仇敵であったペリシテ人との戦いにおいて勝利を収めた際に、サムエルが行った記念行事でした。私たちの教会も50年間神に助けられて今日に至ったことを覚えて、何か記念の石を神に捧げたいものであります。
Ⅰ.奪われた神の箱
 当時イスラエルはペリシテ人との戦いに挑みましたが、残念ながら破れ、約4000人を失いました。そこで今度は神の箱を持ち出して戦に臨むのですが、3万人もの犠牲者を出すだけでなく、神の箱も奪われてしまいました。このことは神の栄光がイスラエルを離れたことを意味しています。一方神の箱を奪ったペリシテ側では、偶像ダゴンが倒れたり、人々が腫物に悩まされたり、大変な目に合いました。イスラエル側も祭司エリや二人の息子たちも死ぬなど大きな犠牲を負いました。こうした混乱はとにかく霊性の低下に原因があったことは確かです。
 神の箱は聖なる神の臨在の証です。ですから、あるべきでない場所に神の箱があったペリシテにも、あるべき場所に神の箱がなかったイスラエルにも共に大きな災いとなったのです。
Ⅱ.帰ってきた神の箱
 神の箱はアシドド、ガザ、アシケロン、ガテ、エクロンの町にたらい回しにされ、ようやくベテシメシにお土産付きで返還されました。しかし予期せぬことが起こりました。彼らの中で神の箱の中を見た者があって、70人が主に打たれて死に絶えました。その後やがてキリアテ・ヤリムに戻ってきました。そこではエレアザルを聖別して、その任に当たらせましたので二十年間も神の箱を守り通すことができました。しかし彼らの心情は不安定で主を慕って嘆いたのです。
Ⅲ.助けの石の建立
 サムエルは人々の心情を汲み取って特別会を持ったのです。それは「主は今に至るまでわれわれを助けられた」という感謝の時、聖別の時、復興の時のようでもありました。ここにいくつかのポイントがあります。
 1.偶像を捨てて、主に立ち帰る。
 2.徹底した悔い改めと祈り。
 3.心からの献げ物の伴った礼拝。
 4.積極的な戦いへの前進。
 私たちは日々の生活において、神の箱(神の臨在)は失われていませんか。信仰をもって神の箱(神の臨在)を守り通しましょう。50周年を記念し感謝して教会的にも、個人的にも、助けの石を建立させて頂きましょう。