聖 書:ペテロの第一の手紙 1章3節~5節
(3) ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、(4) あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。(5) あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。
 人間の―生は誕生から死までとされています。厳密には母の胎内での受精から生命は始まりますが、独立した人間としては出産からと考えて良いでしょう。ところで、クリスチャンの生涯はどこから始まるのでしょうか。俗に生まれながらのクリスチャンと言うことばがありますが、人間は生まれながら罪人(ローマ3:23)ですから、人は生まれた後のどこかでクリスチャンになるのです。聖書は「新たに生まれる」と言い、神学用語としては「新生」、あるいは「更生」(生まれ変わり) です。
 主イエスはニコデモに「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)とお語りになりました。使徒パウ口は「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」(第二コリント5:17) と言いました。そしてペテ口は「神は、わたしたちを新たに生まれさせる」と言います。
※聖書的新生の意味は、
 第1に、罪からの救出です。生まれながらの罪人が、その罪を主イエス・キリストの十字架における身代わりの死によって、 贖っていただくことを意味します。
 第2に、永遠の命を与えられること、まさに新しい創造です。ここから始まる新しい命は、肉体の死後もそのまま継続し永遠に続きます。クリスチャンは死んで天国に行くとか、死んでから別な世界が始まると考えますが、そんな相対的な世界の違いではなく、この世にあるうちから永遠の世界が始まっていることに気づくべきです。
 第3に、神の子とされたということで、それまで敵対関係にあった父なる神と和解が成立し、クリスチャンは神の世継ぎとされるのです。
※聖書的新生について大切な事柄を考えてみましょう。
 第1 に、新生は原理的には―回限りの出来事(転機)ですが、単なる過去の記憶で終わらせてはならりません。クリスチャンホ-ムに生まれたり、キリスト教文化の濃い社会の中で育つと、目立った転機を経験できない場合も少なくありません。そのため悩んだり、自信がもてなかったりする方もおられます。逆に不信仰の世界からいきなり転機を経験した場合、その転機そのものが強く印象づけられ、いつまでもそれに頼って前進しない人もいます。新生は確かにただ一度の出発ですが、それは日々、時々刻々 再現され続けられなければなりません。
 第2に、新生は豊かな資産を共有するという希望ヘと、私たちを導くものです。私たちが肉体の誕生をした時でさえ、私たちには様々な特典が伴ってきたはずです。霊の誕生に際して神が備えてくださる賜物はどんなにすばらしいものでしょうか。
 第3に、生まれたら育つというのも、肉体の場合と同じです。このことについてペテ口は2章で具体的な指示を記しています。