聖書:コリント人への第二の手紙4章7節~11節

7 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
8 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
9 迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
10 いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
11 わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。

 現代の社会で保険は欠かせないものです。誰も例外なしにいつ、どこで、どんな災難にあうか誰も分かりません。現代人は多くの保険に加入しています。生命保険、自動車保険、火災保険、癌保険、せめて国民健康保険くらいは皆、加入しています。今日のみことばを見ますと私達の人生は土の器のようで、いつ壊れるか分からない未弱な存在です。ところでその土の器の中にイエス・キリストという宝が入っていると保険と比較ことすら出来ない心強い保証になります。主は人生の基礎を揺るがす深刻な苦難から私達を守って下さいます。人生の中で出会う具体的な危険は何か、その時、主は私達をどのように助けて下さるのでしょうか?
1.四方から患難を受けても窮しないように保証する(四方から囲まれても囲まれない)
 パウロが伝道した時代は基督教に対して迫害や艱難がありましたが、今の時代はそれとは違う艱難が信者にあります。日本で信仰生活をしている私達は未信者に囲まれているし、罪の文化、罪の誘惑に囲まれています。信者はこの地においていつも罪の陰に囲まれていると言っても過言ではありません。信仰者として正しく生きていこうとする私達にあらゆる試練と誘惑、あざ笑いがあります。この地において私達はこれからも「四方から患難を受け」ますが、「窮」することはありません。神様がおられるから感謝しましょう。
2.途方にくれても行き詰まらないように保証する
 私達が暮らしているところには苦難の連続だと言っても過言ではありません。試練は次々と起こるし、人生の道のりでぶつかる壁も多いです。途方に暮れて行き詰まることが多くて人々は落胆して、挫折してしまいます。しかし、主を心に受け入れている人は途方にくれても行き詰まりません。主の約束を最後まで信じているからです。
3.迫害に逢っても見捨てられないように保証する
 クリスチャンはイエス様を信じることで多くの迫害を受けます。この世の中の人々にはない種類のおまけの試練です。初代教会から現在に至るまでクリスチャンは国から、社会から、家族からおびただしい迫害を受けました。元々未信者の家庭で生まれた人が突然、クリスチャンになると色んな事を覚悟しなくてはなりません。IIテモテ3:12「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」。クリスチャンに迫害があることは事実です。しかし、同時に主はこのような迫害の中で私達を見捨てないと約束しておられます。
4.倒されても滅びないように保証する
 人生の中には失敗が何回もあります。景気が悪くて事業に失敗し、急に人生の落伍者になる人も多いです。いくら熱心に、真面目に働いても時代が大変になると仕事は駄目になります。そのことで多くの人々が人身事故で生涯を終えてしまいます。この世の人々は倒されると人生が滅びてしまいます。しかし、クリスチャンは倒されても人生の終わりではありません。私達はこの四つのことを聞いて安らぎを得ます。「窮しない。行き詰まらない。見捨てられない。滅びない。」
 私達の人生は土の器のように弱いです。しかし、主である宝がその中にいます。主の宝を持っている器は壊されることはありません。宝である主の能力が私達の人生の基礎の部分を守っておられるからです。