聖書:サムエル記上13章8節~14節

8:サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。
9:そこでサウルは言った、「燔祭と酬恩祭をわたしの所に持ってきなさい」。こうして彼は燔祭をささげた。
10:その燔祭をささげ終ると、サムエルがきた。サウルはあいさつをしようと、彼を迎えに出た。
11:その時サムエルは言った、「あなたは何をしたのですか」。サウルは言った、「民はわたしを離れて散って行き、あなたは定まった日のうちにこられないのに、ペリシテびとがミクマシに集まったのを見たので、
12:わたしは、ペリシテびとが今にも、ギルガルに下ってきて、わたしを襲うかも知れないのに、わたしはまだ主の恵みを求めることをしていないと思い、やむを得ず燔祭をささげました」。
13:サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。
14:しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」。

 サムエル記には信仰の面で成功した人も、失敗した人もいる。私達は信仰の成功者から学ぶことが多い。しかし、失敗者からも学ぶことがある。なぜなら私達も聖書に出てくる失敗者たちと同じ弱さを持っていて、同じ過ちを犯しているからだ。彼らの失敗は私達への大きな警告でもある。今日はサウル王がなぜ神様に捨てられたのかを見よう。
1.不従順     王としての身分を守らなかったこと
①高慢と怠慢(13:9):神様からの身分を守らないことには高慢と怠慢がある。してはいけないことをするのが高慢、しなければならないことをやらないのが怠慢である。サウルは高慢と怠慢だった。
②ストレスに耐えなかったこと:サウルはストレスに耐えられなかった。彼は巨大な敵であるペリシテとの戦争、敵に比べて武器もない、訓練されていない軍人、国が整備されていないことで全てが不安定だった。全てが彼には精神的、霊的ストレスだった。しかし、彼はそのストレスを主との交わりを通して解消することに慣れていなかった。
③責任を取らないこと(13:11-12):「民のせいで、サムエルのせいで、ベリシテ人のせいで、神様のせいで」。「自分のせいで」という言葉はない。王でありながら責任を取らない。
④神のことばを捨てたこと(サムエル上15:26):アマレク族を滅ぼすことは神様の代わりに裁きを行うことだった。しかし、彼は奪うことに熱心だった。彼は神様の裁き司ではなくて、泥棒になったのである。神様のみことばを捨てたので彼は神様に捨てられた。
2.礼拝の生活に怠ける(14:35)
 彼は王になった時神様との交わり、デボーション、礼拝生活が出来ていなかった。神様との交わりはイスラエル指導者の基本である。彼は三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めたが(13:1)主の為、最初に祭壇を築いたのがやっとこの時である(14:35)。
3.憎しみ
 サウルはダビデに出会う前に既に悪霊に取りつかれていた。しかし、それがますますひどくなった。その原因の中にはダビデへの憎しみもあったと思う。彼の人生はダビデへの憎しみの人生だった。妬みが憎しみに、憎しみがもっと悪霊に影響される人に変わった。王として旨くいかない、神様に捨てられた、人生が旨くいかないという全ての怒りをダビデにぶつけた。そのことで彼はますます正気を失い、悪霊から離れることが出来なくなった。
 私達も家庭の中で、教会で、社会でそれなりの身分を持っている。責任もストレスもある。しかし、神様がお授けになった身分に相応しい素晴らしいクリスチャンとして歩もう。