聖書:ハバクク書 3章1~2節

1:シギヨノテの調べによる、預言者ハバククの祈。
2:主よ、わたしはあなたのことを聞きました。主よ、わたしはあなたのみわざを見て恐れます。この年のうちにこれを新たにし、この年のうちにこれを知らせてください。怒る時にもあわれみを思いおこしてください。

 日本プロテスタント宣教150周年の年を迎えました。2008年は世界的な大恐慌の年でした。1929年にも同じようなことが起こりましたが、翌年の 1930年春には東京聖書学院でリバイバルが起こり、秋には塩屋の聖書学舎にも飛び火しました。ですから2009年にリバイバルを期待しても決して的外れなことではありません。この箇所は「ハバククの祈り」として有名な箇所です。文語訳の「活溌(いきはたら)かせたまへ」の「活溌」はリバイバルを意味する言葉です。
ハバククの生きた時代はユダがバビロンに滅ぼされるB.C.586年の少し前であり、国家存亡の危機に立たされた時代でした。彼の家系やその働きに関しては余り詳しいことは分かりません。ただ言えることは彼は神によって召された預言者であり、透徹した霊性の持ち主であったという事です。
Ⅰ.ハバククはユダに対する神の厳しい刑罰を予感しました
 彼の祈りは「わたしはあなたのみわざを見て恐れます。この年のうちにこれを新たにし」でした。当時、弱小国家は大国バビロンの侵略に脅かされていました。その原因は神に対するユダの不信仰と偶像礼拝にあります。すでにイスラエルは130数年前にアッシリヤによって滅ぼされています。これは神の刑罰でもありました。ハバククはこのような審判がやがてユダにも下されることを予感していました。ですからハバククは同族のリバイバルを祈ったのです。それはハバククの同胞に対する救霊愛の発露にほかなりません。
C・フィニーは、どのような時にリバイバルは必要かについて、「信者の間に兄弟愛と信頼が欠けている時」と言っています。
Ⅱ.ハバククは切迫する時の重大性を自覚しました
彼の祈りは「この年のうちに」でした。何か性急過ぎるような祈りですが、事実、B.C.597年には第1次バビロン侵攻、B.C.586年には第2次バビロン侵攻、B.C.582年には第3次バビロンによる侵略が現実となり、国家は壊滅状態に陥ってしまいます。聖書は「あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。」(ローマ13:11)と教えています。サタンはいつも「明日」と延引しますが、神は常に「今」と挑戦されます。主イエスは「目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている」(ヨハネ4: 35)と言われます。
Ⅲ.ハバククは神の豊かな愛と聖霊の力を信じました
彼の祈りは「怒るときにもあわれみを思いおこしてください」でした。彼は神は義であると同時に、愛であることを承知していました。ですからここで神のあわれみに依りすがっているのです。また「義人はその信仰によって生きる」(2:4)という大胆な告白をしています。義人とは、決して人間側の立派さにあるのではなく、ただ神にのみ信頼を置く人を指しています。
R・A・トーレーは「説教がなくてもリバイバルは起きたが、祈りなくして起きたことはない」と言っています。
 2009年が盛んな宣教によって、救われる人が多く起こされ、宣教元年とも言うべき画期的な証の年となりますように、共に祈ろうではありませんか。