聖 書:哀歌3章19節~33節

(19) どうか、わが悩みと苦しみ、にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。(20) わが魂は絶えずこれを思って、わがうちにうなだれる。(21) しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。(22) 主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。(23) これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。(24) わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。(25) 主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。(26) 主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。(27) 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。(28) 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。(29) 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。(30) おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。(31) 主はとこしえにこのような人を/捨てられないからである。(32) 彼は悩みを与えられるが、そのいつくしみが豊かなので、またあわれみをたれられる。(33) 彼は心から人の子を/苦しめ悩ますことをされないからである。

 旧約聖書の中に最深の絶望から最高の希望を見出した預言者がエレミヤである。今日の箇所には絶望の涙と希望の望みが混ざっている。絶望の中で神様を見上げたエレミヤを通して私達も今の時代こそ偉大なる神様の存在に注目したい。哀歌は悲しみの歌である。正月には相応しくない箇所である。しかし、今の時代だからこそ、私達の心に響きがある。エレミヤの信仰告白に神様への切なる望みがある。今年の正月は大変な不景気の只中から始まった。このような時代、信仰者の姿勢は何か?
1.黙想すること
(1)現在の苦難を記憶する (19―20節)
 19節の「にがよもぎと胆汁」は「悩みと苦しみ」の酷さを表す。厳しい現実を思うと心が落ち込む。エルサレムの悲惨な姿が彼の頭と心から離れない。涙しかない。
(2)今までの神様の真実を思い起こす (21―22節)
 彼は深く黙想しているうちに心の奥底に眠っている真実の神様の存在を思い起こした。過去の辛いことばかり記憶すると失望しかないが、その中から真実の神様の存在を再確認する時、望みが溢れる。エレミヤは深い黙想を通して神様は絶えない慈しみと尽きることのない憐れみのお方であることを再確認した。
(3)毎日の黙想 (23節)
 23節「これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい」。彼はこのような深い黙想を毎朝行った。そして神様の大きな真実を毎日確認した。このような時代だからこそ私達に必要なことはみことばと祈りを通して、神様を毎日深く黙想することである。厳しい状況は私達を霊的な深いところに導く。試練は神様の所に近づける良き働きをする時がある。
2.待ち望む
(1)待ち望んでいる姿勢 (25―26節)
①待つ(25節)、②尋ね求める(25節)、③望む(26節)、④静かに(26節)
(2)待ち望むべき理由(27―28節)
 現在の試練が神様によって負わせられたくびきだとすると黙して負わなければならない。
3.悔い改める
(1)悔い改めるべき内容
 現在、問題になっているのは特に経済である。経済が問題になっているので個人の経済活動と信仰を今のうちチェックしてみよう。特にお金に関して反省してみよう。私達は今の試練を切っ掛けに信仰を回復したい。私達の今までの間違いを悔い改めるチャンスである。
(2)悔い改める姿勢―口をちりにつける(29節) 
 悔い改める時の代表的な姿勢は「頭にちりをかぶり、身に荒布をまとう」ことである。29節の「口をちりにつけよ」と言うのはそれ以上の悔い改めの姿勢である。
 
 今年はみことばを黙想する、待ち望む、悔い改める時間を長く持ちたいのである。