聖 書  ヨハネ14:1-7

1:「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2:わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
3:そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
4:わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
5:トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
6:イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
7:もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

金 言
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」 。 (ヨハネ14:1)
 本日の場面は、主イエスが十字架にかかる前の日の「決別説教」です。主イエスは、わたしたちのキリスト教信仰の根幹を語ってくださっています。
1.「心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(1)
「心が騒ぐ」のは、ユダヤ人の反感と憎悪によって、自分たちが殺されるかも知れないという恐れです。状況は、ユダの裏切り(13:30)、主イエスのペテロの裏切りを予告(13:38)、「自分たちの中で、だれが一番偉いのだろうと言って、争論が彼らの間に、起こった」(ルカ22:24)という始末です。畏れと混乱は頂点に達しています。「主よ、どこへおいでになるのですか」(13:36,14:4)と、主イエスが、どこかに行ってしまい、自分たちを置いて離れてしまうのではないかという不安です。人は、神から離れ、不安と恐れを持つようになったのです(創世記3:8-11)。
 「神を信じ、またわたしを信じなさい」とは、あまりにも、ストレート、明快です。人の不安の解決は、神を信じることしかありません。そして、「神を信じること=わたし(主イエス・キリスト)を信じること」です。他の方法で神の信じることは、偶像礼拝です。なぜなら、主イエス・キリストだけが、神を知る唯一のお方であり、神に至る唯一の道だからです。
2.「わたしの父の家には、すまいがたくさんある」(2)
 「わたしの父の家」「すまい」「場所」「わたしのおる所」「父のみもと」が、天国です。それは、死後、行く所です。多くの人は漠然と、「天国にいる…」と簡単に言いますが、天国とはどんな所か、そして、自分が天国へ行く確証はありません。人間の最後の最大の恐れです。天国は、父なる神がいる所です。主イエス・キリストは、十字架にかかり罪を赦してくださり、死からよみがえり、昇天され、神の御前に出てくださり、天国へ入られた唯一のお方です。わたしたちは、その主イエス・キリストによって、天国へ入ることができるのです。天国は、死後のことだけではなく、現在も、「わたしのおる所」と、生けるキリストが、どんな時でも、どんな場所でも、どんな状況でも、一緒にいてくださるのです。天におられ、目に見えない主イエス・キリストを指し示すお方として、聖霊が与えられたのです(14:16)。 「あなたがたをわたしの所に迎えよう」(3)とは、天国から主イエス・キリストが来られる再臨のことです(ピリピ3:20-21)。主イエス・キリストは、絶対にわたしたちを捨てないのです。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る」(18)。
3.「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(6)
  トマスは、主イエスが「どこにおいでになるのか」が、まだわかりませんでした。人は、「目に見えるこの瞬間」しか、考えることをしない、できないのです。だから不安なのです。「天国」と「自分」をつなぐ唯一のお方が、主イエス・キリストです。「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」(Ⅰテモテ2:5)。「道」とは、天国への道です。神へ直結する道です。他の方法、他の人、他の宗教、他の経験(感情、神秘、悟り、就業、善行、献金、儀式)では、神に至ることは決してできません。神を信じた証拠は、神が与える平安です。「わたしは平安をあなたがたに残していく」(14:27)。「真理」とは、神を知った確信です。そして、神を信じ、神を畏れ、神以外に束縛されない自由です。「真理は、あなたかたに自由を得させるであろう」(8:32 )。人のしがらみや、自分自身の殻や、因果応報の世界、漠然とした目先の不安から自由にされる真理です。 「命」とは、命の根源であり、供給者である神に直結した命です。「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである」(Ⅱコリント4:7)。
 本日の聖句は、キリスト教信仰の決定版です。ストレートに明快に信じるだけです。