聖 書 ヨハネ20:11~18

11:しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
12:白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
13:すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
14:そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
15:イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
16:イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
17:イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
18:マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

金 言 
イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。」(ヨハネ20:15)
 今日はイースター(復活祭)礼拝です。イースターは英語で、その意味は受難と死を通して復活されたイエス・キリストの過越を記念する日で、教会暦では最も重要な聖日です。初代教会ではキリストが復活された週毎の日曜日に記念されていましたが、2-3世紀から1年に1度ユダヤ教の過越祭の頃に、盛大に祝うことが東西諸教会に広まりました。イースターは年によって日付が変わる移動聖日です。これは325年にもたれたニカイヤ公会議の決定に基づいており、今では「春分の日」後の最初の満月の次の日曜日とすることに定着しました。
1.死-落涙の夜明け
 マグダラのマリヤの証言からイエス様は確かに復活された事実を学びます。マグダラとは彼女の出身地で、マリヤはイエス様がガリヤラヤ伝道中に十二弟子と共にイエス様に従って行動した大勢の女たちの一人でした(ルカ8:1-3)。マリヤはイエス様に7つの悪霊を癒されて(マルコ16:9、ルカ8:2)以来、イエス様の献身的な弟子となったと思われます。7つの悪霊とは数ではなく、量や質を示すと考えられます(参照マタイ12:45)。マリヤはおそらく悪質の病を癒されたのでしょう。マリヤはイエス様が十字架にかかられたときは、イエス様の母マリヤたちと十字架のすぐそばにいた(ヨハネ19:25)とあり、イエス様のご遺体が埋葬されるまでその場を去ることなくずっと見守りました(マルコ15:47)。マリヤは安息日を守った後、日曜日の朝一番の未明時に墓を訪れました。他の誰よりも墓に急いで来ては見たものの、一昨日に見届けたイエス様の無残なお姿を思い起こすだけで、胸は裂かれ、涙がとめどなく溢れてきます。こぼれ落ちる涙をぬぐおうともせずに墓の中を覗き込みましたが、事もあろうに大切なご遺体はどこにも見当たりません。イエス様のご遺体が持ち去られたと思ったマリヤは、悲しみの涙に加えて驚愕と絶望に見舞われます。途方にくれるマリヤは墓の中にいた御使いに涙ながらに訴えます。
2.再会-希望の曙
 マリヤはふと背後に人の気配を感じて振り向くと、そこに復活されたイエス様が立っておられました。マリヤはイエス様が弟子たちに何度となく「十字架で死んだのち三日後よみがえります。」と約束されたのを間近に聞いてはいましたが、いざイエス様が死からよみがえり、再会の瞬間に至っても、マリヤはイエス様の死とそのご遺体が紛失したことに、心は乱れ悲嘆にくれて目が涙で曇ってしまい、声をかけられた本人が復活のイエス様であるとは思いも寄りませんでした。マリヤは、もとの姿勢に向き直って、墓のある園の番人と勘違いしたその人に背を向けたままで、自分が愛するイエス様のご遺体を引き取りたいと申し出ます。イエス様はマリヤの純粋で幼子のようなけなげな信仰を見て取り、「マリヤ」と声をかけられます。マリヤには、呼びかけられた懐かしい声が確かに聞き覚えのあるイエス様の声だとやっとわかり、マリヤは反射的に振り返り、「ラボニ(先生)」と応えます。夜明け前マリヤは死者との涙の対面を覚悟して墓に赴きました。約束されたおことば通りに復活されたイエス様に再会しました。人類最大の敵といわれる「死」に勝利されたイエス様を受け入れ、神様を信じるだけで永遠のいのちを生きる希望を得ます。
3.復活-歓喜の朝
 マリヤは復活のイエス様にお出会いした後、弟子たちにこの出来事を知らせました。マリヤのその後の生涯は知られていませんが、イエス様召天後のエルサレムでの祈祷会には出席していたと思われます。
 人生が死で終わると信じる人は、この世の生活が豊かであればあるほど執着しますが、一切が霧散するときは虚しいものです。しかしイエス・キリストの復活を信じる者はこの世の生活は永遠のいのちにつながる前哨戦で聖潔に至る訓練の場でありやがて喜びの朝を迎えます。『しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。』(Ⅰコリント15:54 新改訳)