聖書  ヨハネ1:37~42

37:そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
38:イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。
39:イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。
40:ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
41:彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。
42:そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。

金言
 わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った。(ヨハネ1:41)
 たとえばあなたは自分がかねてから一度会いたいと切望していた著名人の方から、思いがけず講演会に招かれる案内が届いたらどうしますか。たとえその日にすでに所要があっても何とかスケジュールをやりくりして、当日は大きな期待に胸をふくませて意気揚々と出かけるでしょう。昔から百聞一見にしかずと言います。イエス様はアンデレたちに「きてごらん、そうしたらわかるだろう。」と言われました。私たちの信仰もこれと同じです。もしある人がキリスト教は倫理的に正しいし道徳的に良い教えを語っているから、深入りしない程度に教会と関わって行こうと遠くから静観しているだけなら、その方は聖書の解釈に何年かけても神様のハートである核心部分がわかりません。イエス様を慕い神様のみもとにひざまずき、へりくだってみことばを聞いて教えられ易い心を持ち、幼子のような心で純真に救いを求めて行くとき、聖書の教理や知識がまだ十分でなくとも、神様はその一途な信仰を見て救ってくださいます。
イエス様についていく
 アンデレともう一人弟子は、バプテスマのヨハネがイエス様の通り過ぎる姿を指して「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言って、イエス様がどのようなお方であられるかを二人に聞かせます。『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』として、当時バプテスマのヨハネの弟子であった二人にまことの救い主について二人の目を開かせます。アンデレたちは目を輝かせて救い主に再度お目にかかれる時を待望します。その機会はすぐ翌日にやってきました。イエス様が行き過ぎるお姿を目にして、バプテスマのヨハネが指し示す指のほうに自然に足を向けてイエス様のあとを一心に追いかけ始めました。イエス様は後ろをつかず離れずついてくる二人に気づかれました。「何か願いがあるのか」と優しくお尋ねになりました。アンデレたちは初対面のイエス様にいきなり「あなたの弟子にしてください」とは切り出せず、おずおずと「先生、どこにお泊りなのですか。」と控えめに熱意をもって問いかけました。イエス様はただ「きてごらん、そうしたらわかるだろう。」とだけ答えられました。イエス様は私たちに信仰を持つようにと駆り立てたりなさいません。救い主に招かれても高価なスーツやドレスを着てゆかなくともよいのです。私たちはありのままの罪の重荷を抱えたままでイエス様のもとに行くだけなのです。
イエス様に聞いて信じる
 イエス様の「きてごらん」という温かな呼びかけの声誘われて、アンデレたちは迷うことなくイエス様についてゆきます。そしてその夜はイエス様の泊まられているところに同宿して、神の子イエス様ご自身から一晩中かけて詳しく神の国の話をしていただきました。ローマ10:17には「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」とあり、またヨハネ5:39でイエス様は「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」と言われた。私たちが聖書を愛読するときキリストがみことばを通して、私たちの心に必要なことを語りかけてくださるのです。アンデレはこの晩心ひそかに待ち望んでいた救い主に間近にお目にかかることが適いその声を聞きお人柄に触れたのです。彼にとって救いを信じる決定的な一夜となりました。やみの中を暗中模索していた夜は終わりました。朝の光と共に救いの喜びにあふれる全く新しい人生が始まりました。救われた喜びがアンデレを次の行動を向かわせます。
イエス様のもとに連れてくる
 朝になるとアンデレはイエス様のもとを去り、「わたしたちは、いまメシヤに出会った」というすばらしい知らせを未だ興奮冷めやらぬ状態で一番先に、自分の愛する兄シモンに伝えるために家に戻ります。そしてさっそく兄のシモンを昨日お会いしたイエス様のもとに連れています。イエス様はシモンを見るなり初対面にも関わらず、昔から知っておられたかのように彼の名を呼び、「あなたをペテロと呼ぶことにする」と親しく語りかけました。アンデレはのちにイエス様の十二弟子になり、兄シモン・ペテロも加えられました。アンデレはどうしても自分が愛する人々を救い主に引き合わせたかったのです。彼の神様と人を深く愛する熱意と行動力に私たちも倣いたい。