聖 書  ペテロの第一の手紙1章3節~9節

3:ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、
4:あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。
5:あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。
6:そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。
7:こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。
8:あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。
9:それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。

金 言 
 こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。(第一ペテロ1:7)
①ペテロはローマ帝国からの迫害に苦しむクリスチャン達を励ますため、最後まで信仰を全うするようにと、この手紙を書きました。迫害に限らず、私たちはやはりそれぞれに必ず何かしらの試練や、悩みや苦しみを味わいます。 クリスチャンになったら苦しい事は一切無い、という訳にはいきません。むしろ、父なる神様は私たちの信仰を訓練するために、育てるために、様々な試練を与えられるのです。
②それでは、試練を乗り越えさせるための、御言による励ましを見ていきましょう。
3~4節。まず何より「天国の希望」が与えられています。神の子どもとされ、豊かな神の国が約束されている! 私たちは天国の希望をもっとリアルに強く持つべきです。
 5節。次に「主の守り」がある。その最後のゴールに辿り着くまでの人生の旅路を、“信仰により神の御力に守られているのである。” 確かに様々な困難があるけれども、神の力に守られている、と。
 6節。そして試練は「今しばらく」であると言われています。苦しみが永遠に続いたら、耐えられないけれども、苦しみは必ず過ぎ去って行く。天国に行ったら、もはや「悩む」とか「苦しむ」という事は、一切全く無い訳です! そう考えると、この地上での、悩み、苦しみの経験は、この地上でしか味わえない、貴重な経験とも言える訳ですね。
③7節、“こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちるほかはない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。”
 長年、イエス様を信じて従ってきた、年配のクリスチャンの方々の信仰ってスゴイなあっていつも思うんですね。 私たち若い者は、小さな事でもクヨクヨ悩むし、心配するし、ちょっとショックな事があるとガクンと落ち込むし。 けれども、それこそ長年イエス様を信じてきた年配のクリスチャンの方々は、動じないですよね。 木で言うなら幹が太い、根っこも太い。 既に様々な信仰の試練を通ってきて、それこそ信仰が試されてきて、火で精錬されてきて、鍛えられている。 炎で金は溶けてしまう、ダイヤモンドも燃えてしまう。 けれども、試練で鍛えられた信仰というのは、金よりも、ダイヤよりも価値ある尊い財産だなあ、と思います!
 そして、イエス様が私たちを迎えに来られる時に、賛美と栄光と誉れに変る。 色んな苦労があったけれども、イエス様を信じてきて良かった、と思う事でしょう! 天国を待ち望みながら、イエス様と共に二人三脚で歩いていきましょう!