聖 書  

マタイ24章35節
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
ヨハネ3章16節
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

金 言 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。(マタイ24:35)
 日本は今年3.11の未曾有の大地震(死者1万6千人弱、行方不明4千人弱、10/14警視庁発表)を経験して今までの経験や知識、信頼すべきもの、価値観などがあの日以来総崩れして、災害の復興と同時に危機管理、原子力に変わる代替エネルギーへの転換、新しい社会システムを考え直さなければならない世紀に直面しています。その一方で昨日15日は世界中で人々が失業への不安、貧富の差の広がりに怒り、80か国以上の地域、1千を超える都市でデモ行進が行われました。私たちの世界は絶えず混迷しています。確かな未来をどのようにしたら得ることができるのでしょう。
1.不変でないもの「天地は滅びる」
 聖書はこの世界が永遠不滅ではないとはっきり預言しています。「天地は滅びるであろう。」無論いたずらに不安を掻き立て人心を煽り立てるような言動は慎むべきでありましょう。しかし常世の春とばかりに人々は利便性や快適さだけを追求し、近視眼的に、刹那的に、享楽的に、暮らすうちにその生活はいつの日か破たんをきたし、終焉を迎える現実に私たち向き合わなければなりません。それは時を刻む正確な時計のように刻一刻と近づきつつあるのです。それの時は今兆候があるにせよかの大震災のように私たちが予想もしなかった時期に不意に訪れる可能性が大きいでしょう。なぜ終わりが来るのでしょう。理由は一つです。それは世の悪が頂点に達した時、人の心に住む罪の結果がもたらす大借財の報いなのです。この麗しい世界を創造された神様がおごそかにはっきりと宣言されています。ですから、現在私たちは目には見えていても、やがては朽ちて消え去るものや人をあてにしてはなりません。聖書には「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(Ⅱコリント4:18)とあります。
2.永久に変わらないもの「神のことば」
 「天地は滅びるであろう。」という神の厳粛な宣言には続くおことばがあります。それは「しかしわたしの言葉は滅びることがない。」わたしの言葉とはなんですか。ヨハネ1:1と4には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。…この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。」とあります。憐み深いまことの愛であられる神様は、罪が世と人の心に蔓延することを、なおざりにして滅びに向かう人間を当然の報いだと見過ごされましたか。そうではなく世が滅びに向かっていくのを神様は命を張ってなんとかして食い止めて、神様に背いて罪にあえぐ人々を救い助け出して不動の盾、砦であるご自分のみもとに帰らせたいと、たぎるような熱情を持って決意されたのです。その決心の現れが永久に変わらないものとしての神のことばである方です。そのお方こそ世に人として下られた神の御子イエス・キリストなのです。
3.揺るがない土台を得る「神の救い・十字架」
 私たちはこの世を支配して人の心を欺くずっとあてにできないもの頼りにならないものにすがろうとしないで揺るがない土台を今すぐ得なければなりません。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)。神が命がけで救おうとされたのは人のまことのいのちである魂のゆくえです。神はその溢れる愛のしるしとして、すべての人の罪を御子に負わせるために、天より遣わされました。最大のご使命は神の国の福音の知らせと十字架による死と復活のよる新生です。私たちの愛する人々にこれらを継承して、彼らを滅びから回避させなければなりません。それが私たちが後世に残すことが出来る「最大の価値ある遺産」です(詩篇16:8-9、11)。